ヨルダンの世界遺産「サルト-寛容と都市的ホスピタリティの場」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3)
登録年2021年

ヨルダン中西部・バルカ高原にある3つの丘に築かれたサルトは古来より交易で栄えた都市。ここはシリアやレバノン、パレスチナから人々が集まり、やがて定住し始めると都市を形成しました。サルトはイスラム教徒とキリスト教徒が混じり合って暮らし、19世紀〜20世紀初頭までさまざま文化が交差するという「寛容とホスピタリティ」が見られる都市です。

ここではサルト-寛容と都市的ホスピタリティの場がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サルトについて詳しくなること間違なし!

目次

サルト-寛容と都市的ホスピタリティの場とは?

画像素材:shutterstock

ヨルダンの首都から北西へ約30km。バルカ高原にある3つの密集した丘の上に建てられた、サルトは交易で栄えた町。ここはローマ帝国が支配していた時期は、サルトゥスと呼ばれていて、東ローマ帝国時代は主教座が置かれるほどに繁栄した都市ではありましたが、モンゴル帝国によって破壊。

そして、13世紀にエジプトを中心に繁栄したマムルーク朝の時代に再建されると、19世紀後半〜20世紀前半までが「黄金時代」。その間に、現在のヨルダン・ハシミテ王国の前身となるトランスヨルダン王国の首都ともなりました。

画像素材:shutterstock

ここはパレスチナやシリア、レバノンなどから人々が集まる交易の中心となり、もともとは農村地帯だったものの、商人たちが富を築き上げた結果、都市へと変貌しました。よって、さまざまな民族、宗教グループ、職人、宣教師から構成されるようになり、この町はそれぞれが分離することがなく「共生」していったのです。

やがて地元の伝統文化と商人たちの文化が融合していき、それらがこの時代に築かれた社会福祉システムや共有施設にも表れていて、これが現在もこの地域に伝わる「寛容とホスピタリティ」の場となっているのが特徴です。

サルト-寛容と都市的ホスピタリティの場はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

サルトが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
サルトの旧市街には、さまざまな民族やグループの人々が利用できる施設やシステムなどが残っていて、これらはオスマン帝国時代後期に発生した独特の異文化交流を示しているという点。

登録基準(iii)
サルトの旧市街は、保存状態もよく、キリスト教徒とイスラム教徒の共同生活の伝統などが見られ、19世紀後半〜20世紀前半までが「黄金時代」の都市の様子と文化が見られるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

そもそも中東のこのエリアは、古来から宗教戦争が絶えない場所ではありますが、ここは地理的な利点もあって、キリスト教徒やイスラム教徒がお互いを受け入れつつ、商人などを迎え入れる都市であったというからスゴイことですよね。そして、町そのものも保存状態もよく、公共施設や宿泊所などからも異文化の交流が見られるという点も評価されています。

サルトは、英語にすると「salt」であり、塩をイメージしつつあると思いますが、別に塩はあまり関係なくて、これはラテン語のサルトゥス(saltus)が由来で森林という意味から由来。ここはヨルダンの砂漠のイメージとは違って、緑豊かな大地が続くことからこの名が由来したそうです。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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