登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3),(4) |
登録年 | 1988年 |
オマーン北部のマフダル山地にある考古遺跡は、かつてマガン国と呼ばれた時代の集落跡。ここはメソポタミアに銅を輸出して栄えたとされ、紀元前3000年ころの集落と墳墓の姿を現在にまで残すもの。
ここではバット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群について詳しくなること間違いなし!
バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群とは?
オマーン北西部のアル・ダヒラ県イブリー市から東へ約24kmの位置にバットの遺跡があります。ここでは7つの記念碑的な石塔が発見されていて、石塔は石灰岩をモルタルを使い、積み上げていったもの。これらは家や寺院だとされていますが、決定的な証拠はなく、少なくとも最も新しい塔はウンム・アン=ナール文化後期(紀元前2200~2000年)に遡るもの。他にも段丘に100個以上の石積みの墳墓も点在。近くにあるアル=フトゥムにも石塔が見られます。
バットから南東へ約22kmの位置にあるアル=アインには蜂の巣ような墳墓が並んでいて、これらは紀元前3000年初期に遡るもの。乾燥した石積みの壁を備えた円形の塔となっていて、墳墓としての役割がありました。
この3つの遺跡は青銅器時代にオマーンに存在したマガン国の集落跡だと考えられていて、彼らはアフダル山地で銅の採掘を行い、現在のイラクを中心としたメソポタミアに供給していました。これらの遺跡は、古代の採掘場から作業場、建設に至るまでの作業手順を証明するもの。
バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
バット、アル=フトゥム、アル=アインの集落、墓地、作業場を含む遺跡は、紀元前3000年期のアラビア半島東部の社会を物語るもので、これらは古代メソポタミアの記録に登場する、銅の採掘で繁栄したマガン国の遺跡とされ、ここから多くの銅が輸出されたとされています。バットでは、円形の記念碑的建造物や長方形の家々、墓地などがあり、遺跡からは階層社会の出現を示し、副葬品からは交易によって生活水準が向上したということも証明しているという点。
登録基準(iv)
バットのネクロポリスは、オマーン半島における青銅器時代初期の葬祭儀礼の発展を示すということ。
世界遺産マニアの結論と感想
かつてオマーンには、マガン国という銅で繁栄した古代の産出国があったとされ、バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群は、マガン国の繁栄が見られ、遺跡からは階層社会の出現や交易によって生活水準の向上が見られ、さらに当時の葬送儀礼なども分かるという点で評価されています。
ちなみに、マガンの有力候補は地理的にはオマーンではあるとされるものの、イエメンやエジプト、パキスタンなどを支持する説もあって、はっきりしないところ。なにしろメソポタミア文明の時代のことだけに、まだまだ不明なところも多く、そのうち新たなる発見があるかもしれませんね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。