ポルトガルの世界遺産「アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(4),(6)
登録年1983年

ポルトガル本土から西へ約1000kmほどの距離に位置するアゾレス諸島。テルセイラ島にあるアングラ・ド・エロイズモは、15世紀から19世紀まで新大陸やアフリカとを結ぶ中継地として繁栄しました。街には16世紀末建造のサン・セバスチアン要塞や16世紀建造のレデントール・デ・セ大聖堂などが残るものの、1980年の地震で被害を受け、今は修復しつつ維持されています。

ここではアゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アングラ・ド・エロイズモについて詳しくなること間違いなし!

目次

アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区とは?

レデントール・デ・セ大聖堂/アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区
画像素材:shutterstock

大西洋に浮かぶアゾレス諸島。最大の島・テルセイラ島の南に位置するアングラ・ド・エロイズモは、15世紀にポルトガルの植民地となると、ヨーロッパと新大陸、アフリカを結ぶ港湾都市として繁栄しました。ここは丘に囲まれた地で、町の区画は直線状であり、格子のように配置されているのが特徴。他のヨーロッパの国々や海賊の襲撃に備え、防御施設の建設が求められたため、16世紀末建造のサン・セバスチアン要塞などが現在でも残っています。アングラ・ド・エロイズモは16世紀に市へと昇格すると、ここには司教座が置かれ、2つの塔を持つレデントール・デ・セ大聖堂が16世紀に建造されました。

現在でも市の中心部にはかつての要塞と、バロック様式の教会や修道院が当時のまま残されています。しかし、1980年に大地震が発生し、ここは被害を受けました。

アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区
画像素材:shutterstock

アングラ・ド・エロイズモが評価されたのが、以下の点。

登録基準(iv)
大西洋中部に位置するアングラ・ド・エロイズモの港町は、アフリカや新大陸からの艦隊の寄港地でもあり、世界の海にまつわる建造物の例であるという点。

登録基準(vi)
リスボンにあるベレンの塔やヒエロニム修道院、インドのポルトガルの植民地であるゴアのように、アングラ・ド・エロイズモは、世界の文明の交流を促す航路の中継地であり、歴史における重要な出来事と直接関連しているということ。

世界遺産マニアの結論と感想

アングラ・ド・エロイズモは、大航海時代からの寄港地であり、ここは世界における海洋の歴史が見られる場所で、世界各地の文明の交流を促したことから、世界史において重要な場所であるという点で評価されています。

ちなみに、テルセイラ島はかつてはブラジル島と呼ばれていて、今でも「ブラジル山」といった名称も残っています。しかし、現在の南米のブラジル連邦共和国の由来は、ブラジル・ボクと呼ばれる木がルーツなので、特に関係はないそう。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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