登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 1993年 |
首都ストックホルムの西部にあるメーラレン湖。広大な湖に浮かぶビョルケー島のビルカと、アデルスエー島のホヴゴーデンには、ルーン文字の石碑など、かつてヴァイキングの交易跡が残る遺跡があります。これらは8世紀末〜11世紀までヨーロッパの貿易ネットワークを示すもの。
ここではビルカとホーヴゴーデンがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ビルカとホーヴゴーデンについて詳しくなること間違いなし!
ビルカとホーヴゴーデンとは?
ストックホルムから約30kmほど西に位置するメーラレン湖のビョルケー島とアデルスエー島には、ヴァイキングが活躍した時代の考古学遺跡があります。島の各地には彼らが築いた商業都市や王宮、港、要塞の跡が点在していて、これらは世界遺産に登録。
ビルカ
ビョルケー島のビルカは、8〜10世紀までヴァイキングの貿易拠点の一つでした。9世紀になると南方のフランク王国から宣教師アンスガールを訪れて、スウェーデンのキリスト教布教の拠点ともなった場所。
ここにはスカンナビア半島のゲルマン人が使用していたルーン文字の石碑や都市の城壁、周囲には墳墓が2000基以上発見されました。副葬品からは、はるか遠くのビザンツ帝国とも交易が行っていたということも分かっています。しかし、ビルカは10世紀には商業活動が停止。その理由は分かっていませんが、現在でも廃墟となっています。
ホヴゴーデン
ビョルケー島の北部にあるアデルスエー島のホヴゴーデンは、ヴァイキングの王宮があったとされ、建築物の遺構だけでなく、歴代の王族や豪族の墓も発見。ここには城と教会が建造され、13世紀には封建制度が確立されていたと考えられています。
ビルカとホーヴゴーデンはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ビルカとホーヴゴーデンンが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ビルカとホーヴゴーデンは、2世紀の間にヴァイキングによって交易路が拡大した時代に築かれ、ここは彼らの経済と政治の拡大を示すものであるということ。
登録基準(iv)
ビルカは8〜10世紀までのヴァイキングの交易拠点を残す遺跡の中でも保存状態が良いものの一つであるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ビルカとホーヴゴーデンは、ヴァイキングの交易路がヨーロッパ中を網羅しているということを示し、その交易拠点であったことから、かつての繁栄が分かる遺跡であるという点で評価されています。
ちなみに、ビルカでは1889年に発見されたヴァイキングの墓には、遺体は武器や馬とともに埋葬されていて、男性かと思われたのですが、実は女性だったという衝撃の発見がありました。そのため「ビルカの女性ヴァイキング戦士」と呼ばれ、しかも、彼女は戦士たちの上官であったとも分析されています。ヴァイキングといえば男性中心の社会のイメージがありましたが、この発見によりその概念が覆されました。
とはいえ、ヴァイキングの物語や神話の中でも女性が登場することは結構あるので、割と珍しいものではないのですが…果たして彼女はどんな人物であったか?これは今でも不明です。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。