オランダ・ベルギーの世界遺産「慈善の集団居住地群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年2021年

オランダとベルギーには、「慈善の集団居住地」と呼ばれる入植地があり、これは19世紀の貧民層の人々への救済措置として建設されたもので、社会改革の一環として荒れ地を開墾して作られた農業開拓地でもありました。やがて住民たちは模範的な国民として暮らすようになり、現在でも農地としてそのまま活用されています。

ここでは慈善の集団居住地群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、慈善の集団居住地群について詳しくなること間違いなし!

目次

慈善の集団居住地群とは?

慈善の集団居住地群
画像素材:shutterstock

ここでいう「慈善」とは慈善協会のことを指します。慈善協会は1818年に当時のネーデルラント連合王国(現在のオランダとベルギー)で、ヨハネス・ファン・デン・ボッシュ将軍によって設立された組織。これはナポレオン戦争によって仕事を失った大都市の貧民層たちを未開墾地に連れていき、そこを開拓させ、村を作り、人々が暮らせるようにするというのが目的ででした。

開拓地はオランダに2箇所、ベルギーに1箇所が世界遺産に登録。都市から人々を連れてきて開墾を続けた結果、7年間で総面積が約80平方kmにもなり、住宅と農地、共同の建物などが並ぶように。ここは大規模な農場となって、都市の貧民層に雇用を生み出し、彼らは意識的にも改革されていったというのも特徴。やがて彼らは模範的な国民となり、農業によって国の経済を支えていくようになったのです。この取り組みは20世紀まで続きましたが、現在の開拓地は通常の「農村」として残っています。

慈善の集団居住地群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

慈善の集団居住地群
画像素材:shutterstock

慈善の集団居住地群が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
慈善の集団居住地は、大規模な農業開拓地を通じて、貧しい人々を勤勉な国民に変え、荒野を農地へと変えていくという社会改革へと繋がっていったということで、西ヨーロッパの福祉において大きな影響を与えたという点。

登録基準(iv)
慈善の集団居住地は、19世紀の貧困問題の解決に向けて作られた農業開拓地の顕著な例で、荒れ地を耕作地に変えたことから、社会改革に繋がる農村のモデルでもあり、その後の発展も見られるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

これは大都市に溢れてしまった貧民層の救済措置として未開拓地を農地に変えるという壮大なプロジェクトで、ヨーロッパにおける福祉のモデルケースとなったという点もポイント。そして、毎日農業に従事し続けると彼らの考え方そのものが変わっていき、やがて模範的な国民になっていったということでも評価されています。

ちなみに、「ベルギー」という国が誕生したのは1830年の現在の「ベルギー王国」が独立してから。それまでは、現在のオランダとともに「ネーデルランド」と呼ばれる地でした。ベルギーというのは、もともとこのあたりに住んでいたゲルマン系の部族とされるベルガエ族が由来していているとのこと。屈強の戦士が多い部族だった様子で、サッカー・ベルギー代表の戦いぶりも彼らに繋がっている…かもしれません。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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