登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4), (5) |
登録年 | 1996年(2021年拡張) |
首都アムステルダムを取り囲むように築かれた防塞線(堤防)は、1883年から1920年まで築かれ、なんと堤防の長さは合計は約135mkにもなっています。これらはオランダ特有の治水技術を利用された軍事施設であり、堤防の他には42もの要塞が世界遺産に登録。
ここではオランダの防塞線(アムステルダムの防塞線)がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、オランダの防塞線について詳しくなること間違いなし!
オランダの水利防塞線群(アムステルダムの防塞線)とは?
オランダは「ネーデルランド(低地)」と呼ばれるだけあり、古くから治水技術が発展してきたのですが、首都アムステルダムを防衛するために、1874年に防塞線建造のための法律が成立すると、1880年から1920年にかけて、中心部から10〜15kmの距離に街全体を囲む堤防が築かれ、これらはすべて繋げると全長135kmにもなる巨大なものでした。そして、その中に要塞が築かれ、合計で42もの要塞が現在も残っています。
これらはオランダ特有の治水技術を利用された軍事施設であり、水門を開くと、堤防の外側から水を浸水させて、敵の侵入を防ぐというもので、水の深さは0.5m〜1mになり、人が歩くのは難しく、船で進めない程度の深さになるのというのが特徴。しかし、完成したころには、航空機の登場によって実戦で使われないまま時代遅れのものとなってしまいました。1996年にアムステルダム周辺の要塞が世界遺産に登録されると、さらに範囲を広げ、2021年には「オランダの水利防塞線群」という名称に変更。
オランダの水利防塞線群(アムステルダムの防塞線)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
オランダの防塞線が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
オランダの防塞線は、各地との文化交流を示すという点。
登録基準(iv)
オランダの防塞線は、16世紀以降オランダの人々によって治水技術が磨き続けてきた知識が反映されているという点。
登録基準(v)
オランダの防塞線は、堤防や水門、ポンプ、運河、干拓地など、人類による環境の適応の見本を示すものであるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
オランダ各地に点在する防塞線と各地の要塞は、首都アムステルダムを防衛するために建造されたもので、長年ここに住み続けるオランダ人によって磨かれた、水門やポンプ、運河などの技術が見られ、古くからの知識が応用されてきたという点で評価されています。
ちなみに、アムステルダムは運河の町ですが、周りはほんとんど湿地帯で、それを埋め立てて人々が暮らしてきたのですが、オランダの空の玄関であるスキポール空港も、なんと湖を埋め立てて造り上げた空港。そして、もともとは他の世界遺産に登録されている要塞と同じく、要塞として建造されたもの。ここはかつて「スキポール要塞」と呼ばれた場所を広げて現在のような広大な空港にしたのです。…ある意味、世界遺産の一歩手前の空港でもありますね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。