登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (5) |
登録年 | 2007年 |
大森銀山は「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成遺産の一つ。ここは銀山の行政と商業の中心地ではありましたが、大森銀山なぜ世界遺産に登録されているのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは大森銀山がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、大森銀山について詳しくなること間違いなし!
大森銀山とは?
石見銀山の坑道がある銀山柵内の北側に広がる重要伝統的建造物群保存地区。ここは石見銀山における行政と商業の中心地で、狭い谷沿いには武士や商人、庶民の家々が並び、さらに寺社まで密集するという、当時の日本としては珍しい街の構造でした。これらは1800年の火事によってほとんどが失われましたが、街の区画は当時のまま残されています。
今でも伝統的な木造建築が広がっていて、南側の銀山地区と北側の大森地区の2つに分かれています。大森地区には、かつてこの地を治めていた代官の住まいであった代官所跡(現・石見銀山資料館)もあり、展示品からは当時の人々の暮らしが分かります。
大森銀山はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
大森銀山が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
16世紀〜17世紀初頭の大航海時代に、石見銀山における銀の大量生産によって、日本と東アジア、ヨーロッパの国々との交易から文化的交流が生まれたという点。
登録基準(iii)
日本における金属の採掘と生産の技術革新は、採掘から精錬までの一連の労働集約型経営による運営形態の進化がもたらされました。江戸時代の日本は鎖国していたために、政治と経済が孤立していた中、ヨーロッパの産業革命によって開発された技術の導入が防がれ、やがて銀鉱山が枯渇すると休山。よってここは19世紀後半まで伝統的建築物が残り、保存状態も良好であるということ。
登録基準(iv)
石見銀山には、保存状態が良い鉱山、製錬所、輸送路、港湾施設の遺構が森の中に多く残り、銀の生産に関連した集落も含まれ、歴史的な土地利用の証拠が見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
大森銀山は、銀山によって繁栄した都市の様子を現在に残していて、狭い谷の中に伝統的な家屋が並ぶという土地利用が見られるという点で評価されています。
ちなみに、大森には梅の木が植えられていますが、これは鉱夫たちが坑道に入る時に梅干しを作るという目的もありました。梅干しの中のクエン酸が、埃っぽい坑道の中でも呼吸を保つ効果があったために、マスクの中に仕込んでおいたとか。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。