登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (4), (6) |
登録年 | 1994年 |
首都モスクワ南西部に位置するノヴォデヴィチ修道院は、1524年にヴァシーリー3世によって創建されたもの。ここは12の塔を持つ要塞という側面もあります。中央には美しいフレスコ画が描かれたスモレンスキー聖堂があり、これは「モスクワ・バロック」とも呼ばれるもの。ロシア建築の傑作の一つで、モスクワの建築様式に大きな影響を与えました。
ここではノヴォデヴィチ修道院の建造物群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ノヴォデヴィチ修道院の建造物群について詳しくなること間違いなし!
ノヴォデヴィチ修道院の建造物群とは?
ノヴォデヴィチ修道院は、モスクワ市の南西部にあるモスクワ川沿いに築かれた修道院。ここは1524年に当時のモスクワ大公であったヴァシーリー3世によって設立され、12の塔を持つ堅固な城壁に囲まれています。そのため「ミニチュアのモスクワ・クレムリン」と呼ばれ、要塞としての機能もありました。16〜18世紀にかけて貴族の娘などが修道女として所属し、歴代の皇帝の王女などもかくまうこともあり、ロシアの政治と密接に関わった場所でもあります。
敷地内には、8つの教会が存在しますが、その中でも最も古いのが中央にあるスモレンスキー聖堂。ここはイタリアの建築家によって設計され、3つのドームを持ち、天井や柱など、フレスコ画で覆われています。これらは「モスクワ・バロック」として当時、最上級の建築物であり、17世紀後半のモスクワの建築物に大いに影響を与えたもの。そして、修道院の墓地には、王侯貴族だけではなく、フルシフチョフやエリツィン、ゴルバチョフなどの政治家や音楽家、作家など、さまざまな人物が眠ることで知られます。
ノヴォデヴィチ修道院の建造物群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ノヴォデヴィチ修道院の建造物群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
ノヴォデヴィチ修道院は、モスクワ・バロックの最高傑作であり、このエリアは良好な都市計画としての価値があるという点。
登録基準(iv)
ノヴォデヴィチ修道院は、17世紀後半におけるモスクワ・バロックを代表するもので、非常によく保存された修道院であるということ。
登録基準(vi)
ノヴォデヴィチ修道院は、ロシア正教だけでなく、モスクワのクレムリンとの繋がりがあり、16〜17世紀のロシアの政治史と密接に関係するという点。
世界遺産マニアの結論と感想
当時のモスクワの郊外に位置したノヴォデヴィチ修道院は、17世紀後半のモスクワ・バロックと呼ばれる、当時のロシア建築の最高峰であり、ここは建物としての価値ではなく、王国貴族を匿ったこともあることから、ロシアの政治史と密接に関わるという点でも評価されています。
ちなみに、あまりにも寒いモスクワの冬は池すら凍るのですが、修道院のそばにある池は、19世紀からアイススケートリンクとして利用されていて、『罪と罰』などで有名なトルストイの小説でも登場するほど。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。