登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3) |
登録年 | 1979年 |
エチオピア北西部にある都市ゴンダールは、17〜19世紀にエチオピア帝国(1270〜1974年)の首都であった場所。ここは皇帝ファシラダスによって首都とされ、イスラムやインド、バロック様式の混じったゴンダール様式という独特の建造物が並ぶようになり、現在でもかつての姿が遺構として残されています。
ここではゴンダール地域のファジル・ゲビがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ファジル・ゲビについて詳しくなること間違いなし!
ゴンダール地域のファジル・ゲビとは?
エチオピア北部のアムハラ州にあるゴンダールは、1632年~1855年にかけて、この地で繁栄したエチオピア帝国の首都だった高原都市。もともとエチオピア帝国は王室を頻繁に移動してたたのですが、ソロモン朝の皇帝ファシラダスが1636年にここを首都とした後は200年に渡って栄えました。
ここは長さ900mにも及ぶ壁に囲まれた要塞都市で、ヨーロッパから訪れたイエズス会によってバロック様式などが伝わり、独特の建築様式が並ぶようになりました。これは「ゴンダール様式」と呼ばれ、イスラム、インド、バロックなど、それぞれの建築様式が融合したもの。ここには6つの宮殿、教会、浴場跡などが点在しています。
まず、ファシラダスは城と聖堂、修道院などを含む広大な宮殿を建造し、次代の皇帝ヨハンネス1世は図書館を建造。さらに18世紀に即位したバカッファは謁見の間、皇妃メントゥワブは教会などが付属した広大な宮殿など、歴代の皇帝たちがこの地に次々と優雅な建造物を加えていきました。19世紀には首都が移転しますが、その後も経済の中心地であり、周辺住民たちによって大事にされてきたもの。
ゴンダール地域のファジル・ゲビはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ファジル・ゲビが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
17世紀初頭からゴンダール様式の建築物がこの地で見られ、200年に渡ってエチオピアにおける建築の発展に影響を与えてきたという点。
登録基準(iii)
ファジル・ゲビの遺構は、エチオピア北西にあるタナ湖の周囲に広がる高地にあり、16〜18世紀にかけて大いに繁栄したエチオピア帝国の繁栄を示すというもの。
世界遺産マニアの結論と感想
ファジル・ゲビの遺跡は、エチオピア北部の高地に築かれたエチオピア帝国の首都であり、かつての繁栄が見られ、ここで発展したゴンダール様式はエチオピアの建築史において貢献しているという点で評価されています。
ちなみに、途中で中断しますが、エチオピア帝国の最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世(在位1930~1974年)もソロモン朝の王様。彼はエチオピアの憲法を制定した際に、日本の大日本国憲法を模範としていて、1970年の大阪万博にも訪れています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。