登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (4) |
登録年 | 2008年 |
フランス各地には、軍事技術者セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバンによって建造された防衛施設が今でも点在していて、稜堡式要塞や都市の城壁など12箇所が登録されています。これらは17〜18世紀の典型的な軍事建築で、ヨーロッパだけではなく、日本を含めた世界各地の軍事建築に影響を与えたもの。
ここではヴォーバンの防衛施設群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヴォーバンの防衛施設群について詳しくなること間違いなし!
ヴォーバンの防衛施設群とは?
セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン(1633〜1707年)は、ルイ14世に仕えた軍事技術者。彼は軍人でもあったのですが、築城の名手でフランス元帥になった人物です。当時のフランスは周辺国との戦争が多く発生していて、国内に多くの要塞を建造していました。その中でも1667年から1707年にかけて彼が建造した、12ヶ所の典型的な西洋式軍事建築が世界遺産として登録。
12ヶ所の建造物には、稜堡式城郭(星形要塞)が含まれ、他に砲台や通信施設、官舎など、合理的な構造になっているのが特徴。基本的には城塞が登録されていますが、一つの街全体が世界遺産となっていたりすることも。これらは17世紀のヨーロッパの軍事建築の発展が見られ、19世紀半まで世界中の軍事建築に影響を与えています。
ちなみに、北海道・函館にある五稜郭も稜堡式城郭(星形要塞)で、ヴォーバンの建築物から影響を受けています。
ヴォーバンの防衛施設群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ヴォーバンの防衛施設群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
ヴォーバンの軍事建築は現在のヨーロッパの軍事建築の古典的存在であるという点。
登録基準(ii)
ヴォーバンの軍事建築は要塞の歴史において重要な役割を果たし、ヨーロッパ、アメリカ大陸、アジアの要塞建設にも影響を与えたということ。
登録基準(iv)
ヴォーバンの軍事建築が作られた時期は、建築と土木工学、経済、社会組織など、当時の人間の思想が多く反映されていて、人類史においては重要な期間であったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ヴォーバンが築いた軍事建築は、さまざまな技術が見られるだけでなく、その時代を象徴する存在で、彼が設計した要塞は世界の要塞建築に影響を大きく与えたという点で評価されています。
ちなみに「落ちない城はない」と言われる彼の要塞ですが、実はスペイン継承戦争(1702〜1713年)では彼が建設した要塞が攻略されたこともあるので、天才といえども100%はないということを示してくれていますね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。