登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (6) |
登録年 | 1979年 |
ガーナ南部のベナン湾沿いには、かつて約500kmにも渡って60もの城塞があったとされますが、現在は3分の1ほど現存。ガーナは黄金海岸(ゴールドコースト)と呼ばれ、これらは15世紀にポルトガル人により建造され、ヨーロッパ諸国によって18世紀まで商人の交易所として利用されてきたもの。
ここではヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ベニン湾沿いの城塞群について詳しくなること間違いなし!
ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群とは?
ガーナはかつて「黄金海岸」と呼ばれるほどの金の産地でした。ベナン湾沿いには約500kmの距離に渡って1482年から1786年まで、ヨーロッパ人によって築かれた要塞を持つ交易所が残っています。これらは大航海時代にポルトガルによって建造され、その後は、スペイン、デンマーク、スウェーデン、オランダ、ドイツ、イギリスなどさまざまな国から訪れた貿易商人によって建造され、その数は合計で60にもなりましたが、現在は3分の1ほど現存。
城塞は正方形もしくは長方形の形になっていて、外側の角地には4つの要塞または塔などが設置。内側には中庭や2〜3階建ての建物が置かれ、象牙や真鍮(しんちゅう)、香辛料、奴隷などの交易所として利用されていました。ここはヨーロッパ列強の商人がアフリカの商品を交換する場所で、敷地には奴隷の収容所や監獄なども存在。4世紀に渡って交易が行われた、ヨーロッパとアフリカの交易地であったため、アフリカの黒人たちにとっては奴隷として新大陸などに連れて行かれたことから、ディアスポラ(民族離散)のシンボルとして「負の遺産」の側面もあります。城塞群は現在は博物館や学校として転用されることも。
ケープ・コースト城
セントラル州にあるケープ・コーストは、1653年にスウェーデンによって木造の要塞が建造され、当時は「カロルスボル」と呼ばれ、後に石造りの城へと改築されました。その後、オランダ人によって占領され、イギリス人が1664年に所有すると、18世紀に再建。ここは木材と金の交易を目的としていましたが、奴隷貿易の場所としても利用されたもの。その後、20世紀に修復が繰り返され、現在に至ります。
エルミナ城
エルミナはセントラル州に位置する港町で、ここには1482年にポルトガル人の建造された城があります。城はサハラ砂漠以南でヨーロッパ人による最も古い建造物として有名で、16世紀の最盛期は世界における金の10分の1がここから輸出されるというほどに発展。その後、オランダやイギリスによって占領され、独立後、1990年代に改修されて現在に至ります。
ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ベニン湾沿いの城塞群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(vi)
ガーナ南部の城塞群は、ガーナの歴史だけでなく、金の交易、後には奴隷交易の拠点として4世紀に渡る世界の交易の歴史を示し、ヨーロッパとアフリカの交流も見られ、アフリカの黒人たちにとってはディアスポラ(民族離散)のシンボルでもあるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ガーナのベニン湾沿いの城塞群は、最初は金の交易を目的にしていましたが、後に奴隷交易の場となり、世界遺産としてはヨーロッパとアフリカの交流だけでなく、黒人奴隷たちの世界各地への拡散の象徴であるという点で評価されています。
ちなみに、第44代アメリカ大統領のバラク・オバマの妻であるミシェル・オバマは2009年にケープ・コースト城を訪問。彼女は黒人奴隷の子孫であったことから、その際に現地の族長たちから「ケープ・コーストの女王」と呼ばれました。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。