登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 2005年 |
アルバニア中部のベラトと南部のジロカストラは、それぞれオスマン帝国時代に建築された町並みが残る都市。そして、伝統的な家屋には現在も人々が住み続けており、その継続性も評価されています。
ここでは、ベラトとジロカストラの歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ベラトとジロカストラについて詳しくなること間違いなし!
ベラトとジロカストラの歴史地区とは?
ペラト
アルバニア中央部に位置するベラトには、現在は13世紀に建てられた家々が残っていますが、その起源は紀元前4世紀にまでさかのぼります。町の高台には地元ではカラと呼ばれる城があり、シンボル的な存在。
13世紀からはビザンツ教会が建設され、15世紀にオスマン帝国に支配されるようになると町にはモスクなどが建てられました。ベラトは何世紀にも渡ってさまざまな宗教や文化が混ざりつつ、交易で栄えた町の名残を現在まで残しています。
ジロカストラ
アルバニア南部のドリノス川沿いにあるジロカストラには、オスマン帝国時代に造られた2階建ての可愛らしい家が並ぶ町。それらの家々は傾斜地に並ぶように立ち、バルカン半島の邸宅の特徴である張り出し櫓が付けられています。内部はオスマン帝国時代の邸宅の典型的な構造と同じで、1階が応接間やリビングルームになっていて、2階が寝室となっているのが基本スタイル。これらの家々は主に17世紀に建設され、城壁内には200もの邸宅があったと記録されています。
町には13世紀に建造された城塞やバザール、18世紀に建設されたモスクなども残っていて、登録当初は「博物館都市」という名で登録されていたほど。
ベラトとジロカストラの歴史地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ベラトとジロカストラが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ベラトとジロカストラは、バルカン半島の都市構造が見られ、当時の生活様式が現在も残っているということ。
登録基準(iv)
ジロカストラとベラトの家々には、中世から続くオスマン帝国時代の建築様式が見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ジロカストラとベラトは、中世からオスマン帝国時代に発展し、現在でも当時の町並みを残しているということが評価されています。
ちなみに、このようなオスマン帝国時代の宿場町的な遺産は、トルコだとサフランボルやブルサなどが登録されていますが、あちらは赤屋根で統一されているのに、こちらは灰色の屋根が多かったりと細かい違いがあったりします。まぁ、どちらもよく似ているので間違い探しレベルではありますが…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。