登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 1987年 |
インド南東部にあるパッタダカルは、7〜8世紀に前期チャールキヤ朝時代に、9つのヒンドゥー教とジャイナ寺院が建造され、屋根が砲弾型の北インド型、ピラミッド側の南インド型の建築様式が融合したもの。特に8世紀にパッラヴァ朝との戦争の勝利を記念して建造された「ヴィルーパークシャ寺院」は南インドの寺院建築の傑作です。
ここではパッタダカルの建造物群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、パッタダカルについて詳しくなること間違いなし!
パッタダカルの建造物群とは?
南インドのカルナータカ州北部にある小さな村・パッタダカル。ここはかつて前期チャールキヤ朝(543〜753年)時代、首都ではなかったものの、「戴冠の都」として当時の王族に愛され、寺院が多く建造された都市になりました。ここは9つのヒンドゥー教とジャイナ寺院が残っていて、屋根は砲弾型の北インド型、ピラミッド側の南インド型の2つが一つの場所で見られるという独特のもの。
特に8代目の王ヴィクラマーディティヤ2世(在位733/4年〜744/5年)は、インド南東部に存在していたパラッヴァ朝との戦争に勝利。首都であるカーンチープラムを訪れた際に、豪華な寺院建築に感銘を受け、南インド各地から彫刻家や石工を集めて、最大規模のシヴァ寺院「ヴィルーパークシャ寺院」を建造。これは王妃ローカ・マハーデーヴィの名前で建造されたことから「ローケーシュヴァラ寺院」とも呼ばれています。壁には無数のシヴァ像の彫刻があり、ヴィマーナ(本堂)は高さ17.5mという3階建てのピラミッド構造というドラヴィダ建築の構造となっていて、9世紀以前の南インドの寺院としては最も高い建造物でした。
パッタダカルの建造物群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
パッタダカルが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
登録基準(iv)
パッタダカルの建造物群は、パラッヴァ朝との戦争の勝利を記念して女王が建造したとされる「ヴィルーパークシャ寺院」を含め、前期チャールキヤ朝時代の北インドと南インドの建築様式の融合を達成した折衷芸術であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
パッタダカルは、前期チャールキヤ朝の繁栄が見られる場所で、王たちが北インドや南インドから彫刻家や石工を集めて建造したことから、それぞれの地方の建築様式が合わさった独特の寺院建築となっているという点で評価されています。
ちなみに、前期チャールキヤ朝は玄奘三蔵も訪れた地で、彼の記録だと、兵士の規律が厳しく、敵に遅れをとって敗北した兵士は女性の服を着せられ、死以上の屈辱を与えられたという記述があります。現代だと大した罰に感じませんが…当時はハロウィンもなかったですしね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。