登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4) |
登録年 | 2011年 |
ウクライナ南西部にあるチェルニウツィーは、ブコヴィナ地方の府主教が置かれた地で、現在の建造物は1864〜1882年にチェコの建築家ヨセフ・フラヴカによって設立されたもの。ここは府主教の邸宅と神学校、聖堂、修道院で構成され、当時のオーストリア支配下における東方正教会の文化の発展を示す一方、ウクライナ独自の文化の影響も見られます。
ここではブコヴィナ・ダルマチア府主教の邸宅がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ブコヴィナ・ダルマチア府主教の邸宅について詳しくなること間違いなし!
ブコヴィナ・ダルマチア府主教の邸宅とは?
現在のウクライナ南西部とルーマニア北東部にまたがるブコヴィナ地方。中心都市は現在のウクライナ領にあるチェルニウツィーで、ここは18世紀後半にハプスブルク帝国(後のオーストリア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国)に領有されると、現在のルーマニア北部のラダウツィにあった府主教の所在地がここに移行され、後にブコヴィナ主教区とダルマチア主教区(現在のクロアチア南部)が併合されました。
府主教のための邸宅は1783年に完成したものの、すぐに崩壊したため、新たな邸宅が必要となり、そこでチェコ人の建築家ヨセフ・フラヴカに依頼することとなったのです。邸宅は、街の北西部にあるドミニク山と名付けられた小高い山に1864〜1882年の間に建造され、中庭を中心に正面に府主教が暮らす邸宅、左側には神学校とドームを持つ十字形の聖堂、右側には修道院が配置されました。
フラヴカは、建造物にブコヴィナ地方の伝統建築を採用した一方、ビザンツ帝国以降の東方正教会の建築様式と文化も反映しています。これはカトリックのハプスブルク家が統治していた時代でも、東方正教会の建造を許すという宗教的寛容政策の一つであり、その中でさまざまな建築様式が融合した「歴史主義建築」の傑作でもありました。現在は大学の校舎として利用されています。
ブコヴィナ・ダルマチア府主教の邸宅はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ブコヴィナ・ダルマチア府主教の邸宅が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ブコヴィナ・ダルマチア府主教の邸宅は、古代、中世、絶対主義依頼の建築様式と都市計画の発展に対する、社会・経済・文化的影響を反映したもので、19世紀に流行した歴史主義様式の建築とデザインの一つであるという点。
登録基準(iii)
ブコヴィナは現在はウクライナとルーマニアにまたがるものの、邸宅はドームのある十字架型の聖堂にビザンツ様式が採用されたことによって文化的伝統が見られ、建造物の瓦屋根に組み込まれた装飾はブコヴィナ地方の文化を示すということ。
登録基準(iv)
邸宅はビザンツ様式、ゴシック様式、バロック様式の要素を組み合わせたもので、19世紀の歴史主義様式の建造物やデザイン、都市計画の優れた例で、オーストリア=ハンガリー帝国期における東方正教会の文化が見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ブコヴィナの中心都市であるチェルニウツィーをオーストリアのハプスブルク家が支配するようになったものの、住民の理解のために、ブコヴィナで古くから信仰されてきた東方正教会の建築様式を採り入れ、その中にゴシック・バロックのような西欧の建築様式を融合し、19世紀の歴史主義的建造物の傑作の一つであるという点で評価されています。
ちなみに、ブコヴィナ地方は14世紀モルドバ(モルドヴァ)公国の領土だったので、ここは現在のモルドバ共和国とルーマニア北東部を含めたモルドバ地方の一部でもあります。よって、ルーマニアの「モルドバ地方の教会群」も、広く言えばモルドバ地方ではあるものの、ブコヴィナ地方の遺産。よって、国境をまたがっていても、文化としては非常に近いのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。