パレスチナの世界遺産「ヘブロン(アル=ハリール)旧市街」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産(危機遺産2017年〜)
登録基準(2), (4), (6)
登録年2017年

ヨルダン川西岸地区の南端にある都市ヘブロン。ここはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の始祖アブラハムの墓があることから、3つの宗教の聖地とされています。市街地は13〜16世紀に築かれ、非常に長い歴史を持つものの、2017年の登録の際は緊急で登録されたため、イスラエルとアメリカが反発。

ここではヘブロン(アル=ハリール)旧市街がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヘブロンについて詳しくなること間違いなし!

目次

ヘブロン(アル=ハリール)旧市街とは?

画像素材:shutterstock

ヘブロンは、アラビア語では「アル=ハリール」と呼ばれ、エルサレムから南へ約30kmに位置する町。パレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区南端にあり、ここはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地となっています。市内には3つの宗教の始祖であるアブラハムの墓があるということで、巡礼者が絶えません。

旧市街は、1250〜1517年にエジプトを中心に繁栄したマムルーク朝時代に築かれもの。ここはパレスチナ南部からシナイ半島、ヨルダン東部、アラビア半島北部を移動するキャラバンの交易地として繁栄しました。そして、16世紀〜20世紀前半のオスマン帝国時代は、さらに周辺に拡張。高層の建築物も多く見られるようになりました。

アブラハムの墓(マクペラの洞穴、アブラハム・モスク)

画像素材:shutterstock

旧約聖書によるとアブラハムは「マクペラの洞穴」で葬られたとされ、その洞窟こそがヘブロンにあると信じされてきました。1世紀になると、洞窟を囲うように建築物が作られることにより聖地となりました。その後、ビザンツ帝国時代になると敷地内に大聖堂が築かれ、イスラム時代になると途中で教会になったこともありますが、建造物はアブラハム・モスクとして利用。

現在は礼拝所となっていて地下洞窟へは入ることができませんが、内部の床には墓標があり、人々は参拝できるようになっています。ここはユダヤ教とイスラム教で礼拝所を二分しているため、入口は別々になっています。ただし旅行者のみ両方入ることは可能(ただし情勢によって異なるので注意)。

危機遺産(危機にさらされている世界遺産)

2017年に世界遺産に登録された際は「緊急的登録推薦」という正式な手続きをしなかったことから、ユダヤ教の聖地としての基準が示されていないとイスラエルとアメリカによって反発。その後、イスラエルとアメリカは2018年にユネスコを脱退するきっかけとなってしまいます。

現在はイスラエルによって管理はされているものの、ユダヤ人とイスラム系住民とのトラブルは絶えないため、危機遺産のままになっています。

ヘブロン(アル=ハリール)旧市街はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

ヘブロンが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
ヘブロンは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地であり、特にアブラハムの墓はそれぞれの建築様式が入り交じるものとなっているという点。

登録基準(iv)
さまざまな王朝によって支配され、アブラハムの墓は、各時代ごとに宗教施設も変わり、修復されて現在でも利用されているということ。

登録基準(vi)
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の始祖であるアブラハムがここで亡くなったことにより、3つの宗教の聖地となっているという点。

世界遺産マニアの結論と感想

ヘブロンは、旧市街そのものもマムルーク時代の町並みが残るという点でも貴重ですが、やはり3大宗教の聖地であり、2000年近くにも渡って増築されてきたアブラハムの墓が評価。

ちなみに、アブラハムが生まれたとされるのは、トルコ東部のシャンル・ウルファという町で、ここにはアブラハムが生まれたという洞窟があります。洞窟の外には「聖なる魚の池」と呼ばれるものがありますが、これはアブラハムが火の中に入れられると火が水になったという伝説にちなむもの。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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