登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(5) |
登録年 | 1981年 |
フェズは、モロッコ北部の内地にある都市で、旧市街は8世紀末にイドリース朝のイドリース2世によって首都とされました。その後、13〜14世紀にマリーン朝の首都となり繁栄。旧市街は北アフリカ最大のモスクであるカラウィーン・モスクやマドラサ、宮殿など、モロッコにおいて最も古いイスラム都市であり、当時の町並みを現在まで残しています。
ここでは、フェズの旧市街がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、フェズについて詳しくなること間違いなし!
フェズの旧市街とは?

フェズは、モロッコ北部の内陸都市で首都ラパドから東へ約200kmほどの距離にある古都。フェズ川とセブー川の合流点にあり、交易都市として栄えました。ここはモロッコでも最も古いイスラム都市であり、宗教や文化、学問の中心として1000年を越えて発展。旧市街はまるで迷路のような構造になっていて、これは敵の侵入に備えたもの。
旧市街は、8世紀末にモロッコ初の独立したイスラム王朝であったイドリース朝の首都となりました。現在の旧市街は、フェズ・エル・バリと呼ばれ、ここはモロッコ初のイスラム王朝であったイドリース朝の創始者イドリース1世がこの近くに町を建造し、その後を継いだイドリース2世がここに新たなる町を建造したことが始まり。
9世紀になると、チュニジアの聖地カイラワーンから追放された人々が住むようになり、礼拝所が建造されると、これが北アフリカでも最大級のモスクであるカラウィーン・モスクの基礎となりました。そして、ムラービト朝とムワッヒド朝が成立すると首都は移りますが、ここは文化都市として発展。



13世紀にはマリーン朝が成立すると、再び首都となりました。この時期になると、街の中心はフェズ・エル・バリの西に築かれたフェズ・エル・ジェディドに移転し、ここには王宮や要塞などが建造されました。15世紀までユダヤ人居住区もあり、現在もシナゴーグが残っています。
20世紀にフランスによって支配されると、彼らは文化財の保護を奨励したため、旧市街は破壊されることがなく、現在までその町並みを残しています。
登録されている主な構成資産
カラウィーン・モスク



9世紀ころにカイワラーン地区に建造された礼拝所がベース。ここは既に教育が行われていたため、世界最古の大学ともされています。10世紀にミナレットが完成し、その後、12世紀に拡張工事が行われ、現在の主要部分はこの時代に建造されたもの。
現在でも「カラウィーン大学」として運営されていて、イスラム教徒以外は入場不可。
サヴィア・ムーレイ・イドリス廟



15世紀創建の建築物で、町を設立したイドリース2世の霊廟。現在見られるのは18世紀に建造されたもので、屋根は緑色のタイルで覆われた美しい建築物であるものの、イスラム教徒以外は非公開。
フェズの旧市街はどんな理由で世界遺産に登録されているの?



フェズが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
フェズ・エル・ジェディドは、マラケシュの都市構造をモデルとして、12〜15世紀には北アフリカの都市計画に大きな影響を与えたという点。
登録基準(v)
フェズは、モロッコのイスラム化以降、数世紀で建造された古い都市であるにもかかわらず、20世紀まで中世の町並みが保持され、宗教や軍事的な施設などを含めて文化そのものが残されている点で大変貴重であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
フェズはモロッコで最も古いイスラム都市とされるだけあって、宗教施設や要塞など、その都市構造そのものが20世紀まで残ったという点で評価されています。そして、12世紀の新市街でもあったフェズ・エル・ジェディドは、当時の最先端都市であったマラケシュに影響され、ここの都市計画がモロッコの他都市の建築様式に影響したという点もポイント。
ちなみに、フェズというと「タンネリ」という川染めの工場が名物で、青が好まれるため「フェズブルー」という陶器が名産品でもあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。