登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3) |
登録年 | 2021年 |
サウジアラビア南西部の山岳地帯にあるヒマーは、かつては香料の道と呼ばれる交易ルートの中継地で、ここには動物や狩猟の様子を描いた岩絵が残っています。周囲にはオアシス都市であった時代の遺構も残っており、かつての繁栄が見られるのも特徴。
ここではヒマー・ナジュラーンの文化的岩絵群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヒマー・ナジュラーンの文化的岩絵群について詳しくなること間違いなし!
ヒマー・ナジュラーンの文化的岩絵群とは?
イエメンとの国境近くにあるナジュラーンは、古来からアラビア半島の交易で栄えた都市。ナジャラーンから約100km北方にあり、ヒマーの岩山には、少なくとも7000年以上前のものとされる、動物や狩猟の様子が描かれた岩絵が残っています。
そして、ここはアラビア南部とメソポタミア、レバント、エジプトなどを結ぶ交易の中継地として、多くの人々が訪れ、20世紀までさまざまな碑文が刻まれました。そして、碑文にはムスナドと呼ばれる古代文字から、ナバテア文字やギリシャ文字、初期のアラビア文字など、さまざま文字が刻まれています。
周囲にはかつての隊商宿の跡も残っていて、古代から井戸も置かれていることから、ここは3000年にも渡って重要な水源でもありました。
ヒマー・ナジュラーンの文化的岩絵群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ヒマー・ナジュラーンの文化的岩絵群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
古代の重要な交易路の一つの中継地にあり、7000年以上にも渡って岩絵や碑文などが刻まれていて、保存状態も良好であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ナジュラーンは、古来から交易の中継地として栄えた都市ではありますが、なんとヒマーでは岩絵から7000年以上前から人々の暮らしが見られるという点で評価されています。そして、碑文にはさまざまな文字で刻まれていて、古代から人々が行き来した場所であるということが分かるというのもポイント。
ちなみに、ナジュラーンは歴史的にイエメンの支配下に置かれた時期も長く、建築様式もかなりイエメンと近いところにあります。現在のナジュラーンはもともとイエメン領で、1934年のサウジ・イエメン戦争でサウジアラビアが勝利し、獲得した土地。よって、文化圏はイエメンだけど、行政的にはサウジアラビアであるという独特の地域でもあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。