ポーランドの世界遺産「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940年-1945年)」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(6)
登録年1979年

ポーランド南部・オシフィエンチム(アウシュビッツ)は、第二次世界大戦時にナチス・ドイツによって築かれた強制収容所があった場所。近隣にあるビルケナウ収容所を含めて、多くのユダヤ人を始め、少数民族などもここで殺害されました。ここは20世紀における人類の残虐行為のシンボルであり、日本では負の遺産として登録されています。

ここではアウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940年-1945年)がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが解説していきます。

目次

アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940年-1945年)とは?

画像素材:shutterstock

ポーランド南部にあるオシフィエンチム市(ドイツ語で「アウシュヴィッツ」)の郊外に作られた強制収容所は、ナチスドイツによって設立された強制収容所であり、劣等民族を処分するという「絶滅収容所」としての機能がありました。

ドイツによるポーランド侵攻の後、この地はドイツによって接収されました。もともとはソ連軍の捕虜やポーランド人の政治犯などを収容する施設ではありましたが、やがてヨーロッパ中から多くの人が捕虜として連行されるように。この地が収容所として選ばれたのは、近くには鉄道路線があり、鉄道での輸送が可能であるという点と、周囲からの隔離が可能だったという点が理由でした。

そして、ナチス・ドイツは、「劣等民族をドイツ本国に入れない」という思想のもと、1942〜1945年まで多くのユダヤ人、他にも政治犯や犯罪者、障害者、ロマなどの少数民族もここで強制的に労働を強られ、亡くなっていきました。

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世界遺産として登録されている収容所は、アウシュヴィッツ第一強制収容所と隣のブジェジンカ村にあり、1942年に完成したアウシュヴィッツ第二強制収容所であるビルケナウの2つ。特にビルケナウは、急造の収容所であったために藁だけを敷いたという粗末な3段ベットに詰め込むように人が押し込められたというほど。

ここは戦後、ドイツが証拠隠滅のために破壊しようとしたところ、ソ連軍の侵攻により、すべてではないですが施設の一部が残されました。結果的にここは兵舎、絞首台、ガス室、火葬場などがそのまま残り、ナチスドイツによる強制労働とホロコースト(絶滅政策や大量虐殺を示すもの)の施策がどのように行われたか、分かるようになったのです。現在は博物館として多くの人が訪れています。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940年-1945年)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

アウシュヴィッツ・ビルケナウが評価されたのが、以下の点。

登録基準(vi)
ナチスドイツによる大量虐殺に関する証拠が残されていて、ホロコーストなどが行われていた場所。人間の尊厳そのものを否定された場所として、人類が忘れてはならない遺産であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

このアウシュヴィッツ・ビルケナウで行われた恐ろしい出来事はあまりにも有名で、現在の国際社会においても比喩に使用されるほどに人類にとって痛ましい記憶となりました。日本では広島の原爆ドームと同じような「負の遺産」として認識されていて、人類にとっては二度と繰り返してはいけない歴史として未来へと警鐘を鳴らし続けているのがアウシュビッツの収容所なのです。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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