スロヴァキアの世界遺産「バンスカー・シュティアヴニツァ歴史地区と近隣の工業建築物群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(4), (5)
登録年1993年

スロヴァキア中央の山間部に位置するバンスカー・シュティアヴニツァは、17〜18世紀に金や銀の採掘で繁栄した鉱山都市で、ここは火薬や蒸気機関など最新技術が導入されていた場所。ここにはロマネスク様式の鉱業会館、ルネサンス様式の宮殿、バロック様式の広場など優雅な建造物が今でも残っています。

ここではバンスカー・シュティアヴニツァ歴史地区と近隣の工業建築物群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、バンスカー・シュティアヴニツァについて詳しくなること間違いなし!

目次

バンスカー・シュティアヴニツァ歴史地区と近隣の工業建築物群とは?

画像素材:shutterstock

南方のハンガリー国境と面したバンスカー・ビストリツァ県にあるバンスカー・シュティアヴニツァは13世紀に設立。中世から金や銀などの鉱業で繁栄してきた場所で、現在の町並みは16世紀に形成されたもの。17世紀には火薬による採掘が行われ、18世紀にはヨーロッパ初の鉱山学校が開かれたことで、鉱業の専門家を育成するという点で重要な都市でした。周辺には金属の採掘場やその処理に関する施設が見られ、縦坑や採掘塔、人工の貯水池などが見られます。

18世紀当時この地はハンガリー王国であり、鉱業で繁栄したためにここは国内でも3番目の人口を誇る都市になりました。今でもロマネスク様式の鉱業会館、後期ゴシック様式の聖カタリナ教会、ルネサンス様式の宮殿、バロック様式の三位一体広場など優雅な建造物が残り、当時の繁栄が見られます。そして、旧城の要塞やルネサンス様式の新城の監視塔、バロック様式の門も現存。しかし、19世紀には鉱業は衰退し、鉱山学校も現ハンガリーの都市ショプロンへと移行してしまいました。

バンスカー・シュティアヴニツァ歴史地区と近隣の工業建築物群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

バンスカー・シュティアヴニツァが評価されたのが、以下の点。

登録基準(iv)
バンスカー・シュティアヴニツァは中世から繁栄した鉱山都市の顕著な例で、それは近代まで続き、その独特な工業建築物が見られるという点。

登録基準(v)
バンスカー・シュティアヴニツァ歴史地区と近隣の工業建築物群は、鉱業が衰退し、鉱業学校が閉鎖したことで、当時の都市構造が今でも残っているということ。

世界遺産マニアの結論と感想

バンスカー・シュティアヴニツァは、中世から金や銀などの鉱業で繁栄し、それは近代まで採掘が続いたことから、当時の最先端の技術が見られる施設跡やその富で作られた優雅な建造物が見られ、19世紀に衰退したことから都市構造がそのまま残されているという点で評価されています。

ちなみに、スロヴァキアは10世紀から1000年にわたって南に位置したハンガリーの支配下にあったために、バンスカー・シュティアヴニツァも、どちらかというとハンガリーの都市という側面がありました。よって、ハンガリー貴族の出身地がスロバキアだったりします。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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