登録区分 | 文化遺産 危機遺産2000年〜 |
登録基準 | (2), (4), (6) |
登録年 | 1993年 |
イエメン西部にあるザビードは、9世紀にアッバース朝の総督であったムハンマド・イブン・ズィヤードによって設立された古都。ここはズィヤード朝(819〜1018年)の首都となり、アル・アシャーイル・モスクのマドラサ(神学校)などが建設され、その後、13〜15世紀の最盛期には学問都市として各地から学生が集まる都市でした。
ここでは古都ザビードがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ザビードについて詳しくなること間違いなし!
古都ザビードとは?
ザビードは、イエメン西部にあるフダイダ県にあり、紅海からは20kmほどの内陸に位置する古都。ここは2つの枯川が合流する地で、モンスーンを利用して農業が行われ、丘の上に円形の要塞都市が位置しています。7世紀には既にこの地域にはイスラム教が布教していましたが、9世紀にアッバース朝の総督であったムハンマド・イブン・ズィヤードが反乱軍を鎮圧するために訪れ、彼はここに城塞を設立し、これが現在のザビードの起源となりました。
町で最も古い「アル・アシャーイル・モスク」はズィヤード朝時代に建造されたもの。旧市街には、イエメンでも最も多くモスクが集中しているとされ、約86ものモスクが集中していて、どれもレンガ造りの構造でありますが、彫刻や漆喰が施されたものも存在。その中でも14ものモスクには、ラスール朝(1229〜1454年)のマドラサも兼ねていました。ザビードはラスール朝時代には、学生たちが多く訪れ、神学や方角、医学、数学などを学ぶ場所となるほどに発展。
狭い路地には邸宅が並び、裕福な住民が住んでいた大きな邸宅は2〜3階建てになっていて、天井や壁龕など、精巧な装飾が施されています。しかし、16世紀前半にエジプトを中心に勢力をもったマムルーク朝が侵攻し、町を破壊。その後、徐々に衰退していきます。
危機遺産(危機にさらされている遺産)
もともとは伝統的な邸宅が保存されていることから評価されていましたが、再開発やコンクリートによる改築などで、景観が変化しつつあることから2000年に危機遺産に登録。
古都ザビードはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ザビードが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ザビードで見られる軍事建築と都市計画などは、イスラム都市の区画の中にモスクとスーク、住宅が調和されていて、これらはイエメンの海岸平野の建築に大きな影響を与えたという点。
登録基準(iv)
ザビードは軍事用の建築物や城壁、見張り塔など、歴史的な要塞都市の優れた例で、邸宅はアラビア半島南部に見られる中庭がある建築様式も見られるということ。
登録基準(vi)
ザビードのアル・アシャーイル・モスクは初期イスラム教の拡大が見られる建造物で、ここは13〜15世紀のイエメンの首都であっただけでなく、イスラム教における重要な学問都市であり、何世紀にも渡ってイスラム世界で大きな役割を果たしてきたという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ザビードは、モスクやスークなどイスラムの要素を持つ建造都市の例が見られ、イエメン沿岸都市の建築様式にも影響を与えたもの。そして、今でも残るモスクやマドラサの跡地はイスラム世界でも優れた学問都市であったということを残すという点で評価されています。
ちなみに、ラシール朝の首都はザビードから南東へ約150kmに位置するタイズへと遷都するのですが、現在のタイズ県にある「モカ」という町は、モカコーヒーの由来となった港町。もともとこの地では、コーヒー豆を「モカ・マタリ」と呼ばれていたことが由来しています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。