中国の世界遺産「明・清王朝の皇帝墓群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(2),(3),(4),(6)
登録年2000年(2003年・2004年拡大)

かつて中国を支配した明(1368〜1644年)と清(1616〜1912年)、そして清の前身である後金(1616〜1636年)の25人の皇帝と皇后、后などを祀った陵墓は中国各地は点在しており、それぞれ世界遺産に登録。陵墓の位置は風水によって選ばれていて、地下宮殿などがある豪華な造りとなっていて、中国における葬祭建築の発展を示すもの。

ここでは明・清王朝の皇帝墓群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、明・清王朝の皇帝墓群について詳しくなること間違いなし!

目次

明・清王朝の皇帝墓群とは?

明・清王朝の皇帝墓群
画像素材:shutterstock

明と清の時代、1368年から1912年まで、歴代の皇帝やその家族が亡くなると豪華な陵墓が建造されました。まず、2000年には湖北省の明顕陵(明の皇族)、湖北省の清東陵と清西陵(清の9人の皇帝)、2003年に明の十三陵、江蘇省の明孝陵(明の洪武帝)と陵周辺に葬られた功臣の墓群、2004年に遼寧省の清永陵(後金のヌルハチの先祖4代)、清福陵(後金のヌルハチ)、清昭陵(後金のホンタイジ)が登録。

ここは風水によって選ばれた土地に、伝統的な中国の建築と装飾が配置され、彫刻が並ぶ大通りなど、王族の儀式や死者の霊が通過できるような設計が見られ、まるで宮殿のような造り。特に明と清の皇帝は陵墓を作ることを重視していて、それは彼らの権威を示すものでもありました。

これらの陵墓設計は、明初代皇帝の洪武帝の陵墓である明孝陵から始まり、その後の明の十三陵など、ほとんどの陵墓には地下宮殿が建造され、その様式が確立されました。そして、17世紀になり、清が成立すると、満州に由来する清の文化と中国の文明が融合されていきました。

明・清王朝の皇帝墓群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

明・清王朝の皇帝墓群
画像素材:shutterstock

明・清王朝の皇帝墓群が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
明・清王朝の皇帝墓群は、風水の基準に満たすように設計され、自然環境の中で調和がとられ、人類の創造的な才能が見られる傑作であるという点。

登録基準(ii)
明・清王朝の皇帝墓群は、それ以前の王朝の陵墓建築の伝統を組み合わされ、さらに発展させていったということ。

登録基準(iii)
明・清王朝の皇帝墓群は、明と清の500年以上に渡って中国を支配してきたという文化と建築の伝統が見られるという点。

登録基準(iv)
明・清王朝の皇帝墓群は、自然環境の中で建築物が配置されるという、独特の文化的景観が見られるということ。

登録基準(vi)
明・清王朝の皇帝墓群は、封建時代の中国で流行した風水の概念が実現されたもので、皇帝の埋葬施設として、中国の歴史的な出来事に関連する場所であったという点。

世界遺産マニアの結論と感想

明・清王朝の皇帝墓群は、以前の王朝の伝統を組み合わせ、風水の理論に従って自然環境に配された豪華な建造物が作られ、歴代の皇帝たちにとって自らの権威を示すものであったということで評価されています。

ちなみに、地下宮殿は基本的には未発掘にされているため、実際にはどんな建造物かあるかは不明なのです。ただ明の14代皇帝である万暦帝(1572~1620年)の地下宮殿は1956年に発掘され、現在は公開されています。しかし、発掘物は適当に管理され、万暦帝の遺体は文化大革命時に燃やされてしまうという始末。これ以降、政府は地下宮殿の発掘を許可していません。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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