リトアニアの世界遺産「ケルナヴェの考古遺跡(ケルナヴェ文化保護区)」とは?世界遺産マニアが解説

  • URLをコピーしました!
登録区分文化遺産
登録基準(3), (4)
登録年2004年

リトアニア東部のケルナヴェには、旧石器時代後期(紀元前9000年〜紀元前8000年前)から人々が住んでいたとされ、町の南にあるネリス川の渓谷沿いには中世まで存在していた集落や要塞、埋葬地などの遺構が残っています。ここは14世紀にドイツ騎士団によって破壊された後、住民は丘の上に移住したため、古代遺跡の保存状態は良好。

ここではケルナヴェの考古遺跡(ケルナヴェ文化保護区)がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ケルナヴェの考古遺跡について詳しくなること間違いなし!

目次

ケルナヴェの考古遺跡(ケルナヴェ文化保護区)とは?

ケルナヴェの考古遺跡(ケルナヴェ文化保護区)
画像素材:shutterstock

リトアニアの首都ヴィリニュスから北東へ約35mの位置にあるケルナヴェは約1万年に渡って人々が暮らしてきたという歴史の深い町。町の南部の渓谷沿いにある考古遺跡は、旧石器時代後期から中世まで居住地であり、これらは氷河期が終了した後の人類の居住地の拡大を示すもの。ここには集落や要塞、キリスト教化される以前の墓地など、当時の歴史や文化などが分かる遺構が集まっています。丘の上には5つの要塞跡が見られ、古代の土地利用が見られるのが特徴。

ケルナヴェは13世紀にはすでに町の存在が確認でき、ここは職人や商人が集まる都市となり、リトアニア大公国の首都として機能していましたが、1390年にはドイツ騎士団に包囲され、町はすべて燃やされ、再建されることはありませんでした。その後、住民は丘の上に移動し、新しい町を建造したため、現在は遺跡になり、「リトアニアのトロイ」と呼ばれるほどに保存状態が良いもの。

ケルナヴェの考古遺跡(ケルナヴェ文化保護区)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ケルナヴェの考古遺跡(ケルナヴェ文化保護区)
画像素材:shutterstock

ケルナヴェの考古遺跡が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
ケルナヴェの考古遺跡は、数千年に渡ってバルト海付近の人類の居住地の発展を示し、ここは先史時代やキリスト教の葬儀の伝統が遺構として見られるというもの。

登録基準(iv)
考古遺跡の集落や丘の砦の跡には、集落の発展やキリスト教以前の時代の暮らしなどが見られるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

ケルナヴェの考古遺跡は、数千年に渡るバルト海沿岸の人類の居住地の発展が見られ、遺跡の集落や要塞跡からは先史時代から中世までのキリスト教の暮らしや葬儀などが分かるという点で評価されています。

ちなみに、現在のリトアニアの英雄とされ、初代リトアニア大公・国王であるミンダウガス(1203年?〜1263年)がここで戴冠したことから、毎年7月6日になると国民的式典が行われ、人々は中世の鎧などを着て模擬戦が行ったり、中世の職人技が見られたりと、中世風のイベントが行われています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

目次