登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 2019年 |
リスボンの北西へ約30kmにも位置するマフラには、1711年に当時の国王ジョアン5世によって設立された建造物群があります。これらは王と王妃の宮殿、バロック様式のバシリカ、フランシスコ派の修道院、3万6000もの蔵書を誇る図書館で構成されていて、建造物の幾何学的な配置にセルコ庭園と狩猟公園が加わえられているというもの。これらはジョアン5世によって、イタリアのバロック様式をモデルにして建造され、ポルトガル帝国の権力を示すものでもありました。
ここではマフラの王家の建物‐宮殿、バシリカ、修道院、セルク庭園、狩猟公園(タパダ)がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、マフラ国立宮殿について詳しくなること間違いなし!
マフラの王家の建物‐宮殿、バシリカ、修道院、セルク庭園、狩猟公園(タパダ)とは?
ポルトガル西海岸のリスボン県にあるマフラには、ポルトガル帝国でも絶対王政を敷いた国王ジョアン5世(1689〜1750年)によって作られた豪華な建造物群があります。宮殿は1711年に建造され、当初はフランシスコ会の修道院のみを想定していましたが、ブラジルで産出される金やダイヤモンドなどの富を背景に、彼の建築家であり、イタリアで建築を学んだヨハン・フリードリヒ・ルートヴィヒによって豪華な建造物群が設計。よって、これは王の君主制を象徴するものでもありました。彼はローマやイタリアのバロック様式から大いに影響され、マフラの国立宮殿はイタリア以外に存在するイタリア式バロック建築の傑作となっています。
ここには、王族が暮らすために建造された宮殿、ローマとフィレンツェの芸術家による58の彫像で飾られた王室礼拝堂、2つの鐘楼が併設されたファサードを持つバシリカ式教会堂、15世紀から19世紀まで収集された幅広いコレクションを持つ図書館、ヨーロッパ各地から持ち込まれたパイプオルガンなどが点在する、豪華な内装が続いています。
建造物群の北側には「セルコ庭園」と呼ばれる庭園があり、ここはジョアン5世によって1718年から世界各地に領土を持っていたポルトガル帝国内のあらゆる種類の樹木が植えられたもの。そして、建物の背後に広がる狩猟公園(タパダ)は、1747年に王族の狩猟場や家畜の飼育場を目的に建造されました。19世紀後半から20世紀初頭まではカルロス1世(1863〜1908年)による狩猟隊が組まれるほどで、現在は12平方kmにも及ぶ広大な狩猟場となっています。
1834年に修道院が解散となると、宮殿は王族が滞在することもあり、狩猟地として人気がありました。しかし、ポルトガル最後の国王マヌエル2世が宮殿から去ると、ここは国立史跡として開放。今でも王族の部屋や修道院などを含めたさまざまな施設を備えた宮殿、庭園、狩猟場などを含めたバロック様式の建造物としてその姿を残しています。
マフラの王家の建物‐宮殿、バシリカ、修道院、セルク庭園、狩猟公園(タパダ)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
マフラ国立宮殿が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
マフラの王家の建物はジョアン5世の時代から絶対王政のシンボルであり、ポルトガルの国家主権の正当性を示すものでした。ここはローマのバロック建築からインスピレーションを受け、その規模や完成度だけでなく、美しいカリヨン(組み鐘)やオルガンなどを含めたヨーロッパの王族による建造物においても重要なものの一つ。そして、狩猟公園(タパダ)は宮殿と修道院に接続された景観設計の優れた例であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
マフラは、当時のゴールドラッシュであったブラジルを領土に持つポルトガル帝国の富と権威を示すものであり、ジョアン5世はイタリアのバロック建築を大いに参考にしてマフラの建造物を完成させ、現在はヨーロッパにおける王族の建造物においても重要なものの一つであるという点で評価されています。
ちなみに、地下には巨大なネズミが住んでいて人を食い殺すという伝説があるのですが…さらには王の緊急時の抜け穴のように使う通路があるという伝承も。実際には地下には下水道があるのですが、ミステリアスな雰囲気があったのかもしれませんね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。