トルクメニスタンの世界遺産「クフナ・ウルゲンチ」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(3)
登録年2005年

トルクメニスタン北西部に位置するクフナ・ウルゲンチは、アケメネス朝ペルシャ(紀元前550〜330年)の時代からの歴史を持ち、ホラズム・シャー朝(1077〜1231年)の首都でもあった場所。現在は廃墟となっていますが、モスクや隊商宿、要塞、霊廟、高さ60mのミナレットなど、16世紀に放棄されるまで繁栄した都市の様子を現在に残します。

ここではクフナ・ウルゲンチがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、クフナ・ウルゲンチについて詳しくなること間違いなし!

目次

クフナ・ウルゲンチとは?

画像素材:shutterstock

ウズベキスタンとの国境近くにあるクフナ・ウルゲンチは、現在は北方に移動したアムダリヤ川沿岸に築かれた都市。ここはホラズム地方(現在のウズベキスタンとトルクメニスタン)の中心都市で、はっきりとはしていませんが、アケメネス朝ペルシャの時代から存在していたというほどに歴史が古い街。10世紀末には、ホラズム・シャー朝の首都となり、イスラム都市となりました。

旧市街には、11〜16世紀のモスクや隊商宿、要塞、霊廟、高さ60mのミナレットなどが遺跡として残っています。ここは中央アジアのイスラム建築が発展した都市。日干しレンガと焼きレンガで構成された建築物やドームなど、それぞれ修復などを繰り返していました。そして、ムカルナスと呼ばれる鍾乳石造りの装飾が見られ、優れた職人による作品も多く点在。特に6代目の君主であるアラーウッディーン・テキシュの霊廟は今でも残っていてドーム装飾は秀逸です。

都市は12〜13世紀に全盛期を迎えるものの、チンギス・ハンの侵攻によって市民がほぼ虐殺されてしまい、その後は少しずつ復旧するものの、結局16世紀には現在のウズベキスタンにある「ウルゲンチ」に都市機能はすべて移転し、ここは遺跡としての「クフナ(旧)」のウルゲンチとなりました。

クフナ・ウルゲンチはどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

クフナ・ウルゲンチが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
クフナ・ウルゲンチで確立された建築デザインと職人技は、イランやアフガニスタン、モンゴル帝国、インドにまで影響を与えたということ。

登録基準(iii)
クフナ・ウルゲンチは、ホラズム地方のイスラム化に貢献した存在であり、保存状態も良く、独自に確立した建造物が見られるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

クフナ・ウルゲンチは、ホラズム地方におけるイスラム教文化の中心地であった場所で、現在でも保存状態は良く、ここで確立した建築様式は西アジア、南アジア、東アジアに影響を与えたという点で評価されています。

ちなみに、クフナ・ウルゲンチのミナレットは、アフガニスタンのジャームのミナレット(高さ60m)と(世界最古級の高いミナレットとして)世界一を争っています。そして、ジャームのものは12世紀末に建造されましたが、こちらは11世紀に建造されているので、年数で言えば勝ってはいるのですが…。

しかし、高さでいえば、同じく世界遺産であるインド・デリーのクトゥブ・ミナールは72.5mなので、年代としては古いものの、高さでは負けています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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