登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(3),(5) |
登録年 | 1979年 |
チュニジアの首都であるチュニスは、13〜16世紀のハフス朝の時代にイスラム世界で有数の商業都市でした。旧市街は、宮殿やモスク、霊廟、マドラサ(神学校)など、700もの建造物が集まり、当時の繁栄した様子を今に伝えています。
ここでは、チュニス旧市街がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、チュニスについて詳しくなること間違いなし!
チュニス旧市街とは?まるで迷路のようになった理由は?
チュニスは、チュニジア北東部の肥沃な土地に築かれた都市。ここは紀元前5世紀に築かれたカルタゴ近郊の衛星都市で、オリーブ油の交易地でありました。その後、ローマ帝国に支配されると、ビザンツ帝国の属州に。
7世紀になると、ウマイヤ朝の司令官ハサン・イブン・アル・ヌウマーによって占領され、ここはマグリブ(北西アフリカを指す言葉)初のイスラム都市となりました。その後、アグラブ朝が設立され、ここに港や大モスク(ザイトゥーナ・モスク)が作られると、聖地となります。
10世紀に南部のファーティマ朝、12世紀からはモロッコのムワッヒド朝によって支配されると、13世紀にハフス朝として独立。チュニスはハフス朝の首都となり、無数のモスクやマドラサ(神学校)が建造され、商業都市として大いに繁栄しました。そして、16世紀以降はオスマン帝国が支配するようになると、宮殿や邸宅なども多く建造され、イスラム都市として現在まで発展。
城壁に囲まれた旧市街の総面積は3万平方kmで、「メディナ」と呼ばれていました。中心部分は8世紀のアグラブ朝時代のもので、郊外のものは13世紀のハフス朝時代に建造。旧市街には、合計で700もの歴史的建造物が集まり、スークや邸宅などを含めて、まるで迷路のような旧市街がそのまま保存されているという点で評価されています。
登録されている主な構成資産
ザイトゥーナ・モスク(大モスク)
旧市街の中心部にあるチュニジア最古のモスク。名前の由来はさまざまで、モスクの位置にオリーブ(ザイトゥーン)があったという伝承も。703年に建造され、ここはカルタゴ遺跡から素材を持ち込み、160本もの柱が再利用されています。モスクのシンボルである四角錐のミナレットは、1894年に建造されたもので高さは43m。
チュニス旧市街はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
チュニスが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
チュニスは、マグレブを始め、南ヨーロッパから中東まで交易をすることで、芸術や建築の分野において文化の交流が行われていたという点。
登録基準(iii)
さまざまな王朝の首都として、旧市街はイフリーキヤ(チュニジアとアルジェリア東部)の文明の存在を示すものであるということ。
登録基準(v)
チュニスの旧市街は、伝統的な邸宅などを保護すべきものを含め、都市構造がそのまま保存されているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
チュニスは、数々の王朝の首都であり、商業都市であったため、各地方の建築様式や芸術などが組み合わさり、都市構造がそのまま保存されてきたという点で評価されています。
ちなみに、チュニス旧市街のスークは地中海世界でも最大規模を誇っていて、しかもほぼすべての通路に屋根が覆われていたので、ひんやりして涼しいというのも嬉しいところ。それぞれのスークは、得意ジャンルがあり、薬草や香水、カーペットなどがあるのですが、中には男性がかぶる円形の赤い帽子である「シャシーヤ」専門のスークも。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。