フランスの世界遺産「リヨン歴史地区」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(4)
登録年1998年

フランス南東部の大都市リヨンは、都市圏としてはフランス第2の人口を誇ります。街としての起源は紀元前1世紀に遡り、ヨーロッパの政治、文化、経済の発展に需要な役割を果たしてきました。中心部は、2000年の歴史を示す建造物が多く並んでいます。

ここではリヨン歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、リヨン歴史地区について詳しくなること間違いなし!

目次

リヨン歴史地区とは?

ベルクール広場/リヨン歴史地区
画像素材:shutterstock

ソーヌ川とローヌ川の合流地点にあるリヨンの旧市街は、西のフルヴィエールの丘からソーヌ川を挟んでクロワ・ルースの丘の間に築かれた都市。ここは紀元前1世紀頃にローマ人によって築かれると、ガリア・ルグドゥネンシス(フランス東部)の首府となり、やがて他のガリア・ベルギカ(ベルギー)、ガリア・アクィタニア(フランス南西部)も含めての首都となるほどの規模になりました。

ここは2000年以上に渡って発展し、フルヴィエールの丘やクロワ・ルースの丘には、ローマ時代に劇場や祭壇が築かれました。中世になると、ソーヌ川の西側にはヴィー・リヨン(旧市街)が発展し、ここには司教座が置かれたことから大聖堂が建造。15世紀にはルイ11世に自由市を開くことを許可され、フランソワ1世がイタリアから絹を導入したことから、絹織物業が盛んとなり、クロワルースには絹織工業に関連した建造物が残っています。

リヨン歴史地区
画像素材:shutterstock

15世紀には、活版印刷の技術も導入され、15世紀のリヨンはヨーロッパでも最大級の人口を誇る都市になりました。あまりにも人口が増えたため、16世紀には都市の再開発が計画され、中世の都市部分が旧市街、新しく設立された都市が新市街となって一つの大きな都市が形成されるように。フランス革命時は徹底的に破壊されましたが、19世紀前半には絹織物・繊維工業都市となるほどに発展しました。

登録されている主な構成遺産

ベルクール広場

ベルクール広場/リヨン歴史地区
画像素材:shutterstock

街の中心部であるベルクール広場は、ソーヌ川とローヌ川に挟まれた半島にあり、ヨーロッパでも最大規模の広場。中央にはルイ14世の銅像が立ち、不定期にイベントが開催される市民の憩いの場。

広場の南西部の道路を越えた先には、『星の王子さま』と作者のサン=テグジュペリの像があります。彼はこの近くのアパートで生まれたこともあり、ここはファンが訪れる場所としても有名。

フルヴィエールの丘

フルヴィエールの丘/リヨン歴史地区
画像素材:shutterstock

ソーヌ川の西側に位置する広大な丘は、ローマが支配した時代、紀元前1世紀に1万人もの人々を収容できるローマ劇場が築かれました。ここはフランスでも最大規模のローマ劇場で、今でも夏になるとコンサートや演劇が行われます。

ローマ時代のフォルム(広場)には、1872〜1896年に建造されたフルヴィエール大聖堂が立っています。ここはロマネスク様式とビザンチン様式の要素が組み合わさった建築様式。丘の頂上にあるため、街のどこからでも眺めることができ、リヨンのシンボルでもあります。

ヴィー・リヨン(旧市街)

ヴィー・リヨン(旧市街)/リヨン歴史地区
画像素材:shutterstock

フルヴィエールの丘とソーヌ川の間に位置する中世の建造物が多く並ぶエリア。ここはかつて司教座が置かれたことから、12世紀に司教座聖堂として建造されたサン・ジャン大聖堂があります。西側のゴシック様式のファサードが印象的で、内部はシンプルなデザインであるものの、13世紀建造のバラ窓など、美しいステンドグラスが見られるのが特徴。

クロワ・ルース

クロワ・ルース/リヨン歴史地区
画像素材:shutterstock

ソーヌ川の東側に広がるエリアで、ローマ時代に建造された円形劇場と祭壇が残っています。ここはかつて絹織の工房が多く並んでいたエリア。トラブールと呼ばれる小さな路地が多く見られるのが特徴で、これは完成した絹織物を市場に運ぶ際にデザインを他の職人に盗まれないようにするためだったとされています。

リヨン歴史地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

リヨン歴史地区
画像素材:shutterstock

リヨン歴史地区が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
リヨンは、ヨーロッパ各地から文化が多く入ってきたことから商業都市として栄え、2000年以上に渡って都市が継続してきたという点。

登録基準(iv)
リヨンは、何世紀にも渡る建築物や都市の設計の発展が見られるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

古代ローマに起源を持つリヨンは、その立地の優位性もあったため、多くの文化が入り、商業や産業が発展し、2000年以上に渡る建築物や都市設計の歴史が見られるという点で評価されています。

ちなみに、19世紀後半に蚕の病気が広まったため、リヨン伝統の絹織物産業がダメージを受け、フランスから横浜へ生糸と蚕を購入されましたが、粗悪品が出回ったために日本の生糸の評価が国際的に下がってしまったのです。そのため、明治政府は生糸の品質の向上と大量生産をするために、リヨン近郊出身のポール・ブリューナを日本に呼び、群馬に富岡製糸場が築かれるきっかけにもなりました。

…ある意味、ヨーロッパで蚕の病気が蔓延しなかったら、日本の絹織業は発展しなかったかもしれませんね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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