登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 2017年 |
アンゴラ北部にある高原に位置するンバンザ=コンゴは、14〜20世紀にかけて南アフリカで最も大きな国家の一つ「コンゴ王国」の首都だった場所。ここには王宮や宮殿、葬儀場などがあり、15世紀にポルトガル人が到着した後は教会などのキリスト教の石造りの建物が置かれました。ここはサハラ以南のアフリカにおいてはどこよりも早くキリスト教を導入し、アフリカ中部の社会が変化したことが分かるという点で貴重。
ここではンバンザ=コンゴ、旧コンゴ王国の首都跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ンバンザ=コンゴについて詳しくなること間違いなし!
ンバンザ=コンゴ、旧コンゴ王国の首都跡とは?
ンバンザ=コンゴはアンゴラ北西部ザイーレ州の州都。ここはコンゴ民主共和国の国境近くにある標高570mの高原に位置し、かつては南アフリカ最大の国家の一つコンゴ王国(1395〜1914年)の首都でした。ここはコンゴ王国の支配者であるマニコンゴの拠点となり、王宮や宮殿、王族用の葬儀場、裁判所が築かれていきます。
15世紀にポルトガル人がこの地を訪れると、ポルトガル語で「サン・サルヴァドール」と呼ばれ、南アフリカでも最大の人口を誇る都市でもありました。地元の原材料で教会などを含むヨーロッパ風の石像の建築物が築かれ、町では上流階級によってキリスト教が拡大。特に16世紀に建造された大聖堂は、中部アフリカでも最古の大聖堂のひとつ。コンゴ王国はポルトガルとの交易において奴隷が最も主要なものであり、ここからはな多くの奴隷たちが南北アメリカ大陸に運ばれましたが、現在の町中にはその史跡はありません。
ンバンザ=コンゴ、旧コンゴ王国の首都跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ンバンザ=コンゴが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ンバンザ=コンゴの遺構は、コンゴ王国によって5世紀に渡って利用され、ポルトガル人によって既存の習慣を受け入りつつ、キリスト教を採用したことを示し、この地は王国の政治やシンボルとしても重要で、アフリカ大陸においてキリスト教の布教の入口としての役割があったという点。
登録基準(iv)
ンバンザ=コンゴは、サハラ以南のアフリカでは他に類を見ない、キリスト教の拡大とポルトガル人の到着によって生じた大きな変化を示す建築物が並び、15世紀の中央アフリカへの影響は宗教だけでなく、大陸間の交易や学問にも影響を与えました。ローマ教皇によって認定された大聖堂や17世紀にコンゴ後で最初のカテキズム(入門書)が執筆されたイエズス会大学など、ここはコンゴ王国の中心地であり、広大な大陸間のネットワークで繋がっていたということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ンバンザ=コンゴは、サハラ以南のアフリカでは最大規模のキリスト教都市となり、布教の場となっていたことを示す遺構が残り、さまざまな文化によってアフリカ各地に影響を与えた都市であることを示すという点で評価されています。
ちなみに、「コンゴ」とはバントゥー語で「山」を示すものですが、エリアとしては現在のコンゴ共和国、コンゴ民主共和国、カビンダ(アンドラ領)の3つにまたがってました。そのため、もともとこの地はポルトガルがかつて支配していたものの、後にフランスとベルギー領となり、それぞれのエリアが独立した際に、別の国家となったために今では「コンゴ人」という概念は薄いとか。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。