登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4),(5) |
登録年 | 1997年 |
テトゥアンはヨーロッパとアフリカの間にあるジブラルタル海峡から約40km南に位置する街。白い家々が並ぶ町並みは、15世紀にレコンキスタによってスペインから避難してきたイスラム教徒とユダヤ教徒によって再建されたもの。これらはスペインのアンダルシア地方の影響を受けています。
ここではテトゥアン旧市街がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、テトゥアンについて詳しくなること間違いなし!
テトゥアン旧市街とは?
テトゥアンはモロッコ北部にあるテトゥアン州の州都で、急斜面に白い家々が並ぶことから「白い鳩」と呼ばれることも。街は紀元前から存在していましたが、徐々にイスラム化していったため、14世紀のレコンキスタ(国土回復運動)時代にキリスト教側の勢力によって破壊。その際に、イベリア半島からイスラム教徒やユダヤ教徒がここに避難してきて、15世紀に街を再建したため、現在見られるのはこの時代以降のもの。
メディナ(旧市街)は、全長約5kmもの城壁で囲まれていて、モスクや隊商宿、職人街、商店街など、小さな街路が多く配されています。ここはスペイン南部のアンダルシア地方の文化を大きく受けていて、特に中央部にある17世紀建造の旧王宮などは、スペイン・ムーア文化を代表するもの。
テトゥアン旧市街はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
テトゥアンが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
白い町並みが残るテトゥアンの旧市街は、イスラムの要素が入ったアンダルシア地方の文化の影響を受けていて、これはこの地に残る建築物や芸術様式、都市計画などに見られるということ。
登録基準(iii)
テトゥアンの旧市街は、地中海沿岸に見られる山岳地帯を背景に要塞化された典型的な町並みが残り、17〜18世紀に拡張し、要塞や建築物などはモロッコとアンダルシアの文化の融合が見られるという点。
登録基準(v)
ヨーロッパと北アフリカを結ぶジブラルタル海峡の南側にあるテトゥアンは、スペインとアラブという2つの文化の接点であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
テトゥアンは、ジブラルタル海峡のすぐ側にあったため、スペインとアラブの中間地帯であり、旧市街はそれぞれの影響を受けた建築物が多く並び、文化の融合が見られるという点で評価されています。
福島にある諸橋近代美術館には、サルバドール・ダリの大作『テトゥアンの大会戦』がありますが、これは1859~1860年スペイン軍がテトゥアンを占領した時に行われた戦いを描いたもの。『テトゥアンの大会戦』はさまざまな画家が描いていますが、それほどこの戦いが激しいものだったのでしょうね。しかし、ダリは自分と妻であるガラを描いているので…かなりアレンジしていますが。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。