登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(3),(6) |
登録年 | 1979年 |
ノルマンディー地方とブルターニュ地方の間に位置するサン・マロ湾には「西洋の驚異」とされるモン=サン=ミシェルがあります。ここは岩山の上に造られた、大天使ミカエルに捧げられた修道院。11〜16世紀の間にノルマン様式、ロマネスク様式、ゴシック様式など、さまざまな建築様式が見られるのも特徴です。
ここでは、モン=サン=ミシェルとその湾がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、モン=サン=ミシェルとその湾について詳しくなること間違いなし!
モン=サン=ミシェルとその湾とは?
フランス北西部マンシュ県の南部にあるサン・マロ湾は、潮の満ち引きが激しい湾。広大な砂州の中にある岩山にそびえるのが、モン=サン=ミシェルの修道院です。11〜16世紀に自然環境に対応し、少しずつ拡大していった修道院は「聖なる山」として巡礼者が多く訪れる聖地。
ここは8世紀にオベールという司教の夢の中で大天使ミカエルが登場し、岩山に聖堂を建てるように告げられたことから、聖堂を建てるとすぐに島になったという伝説があります。よって、修道院の名前は、モン=サン=ミシェル(聖ミカエルの山)となりました。
966年に、ノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を建造すると、オベールが建造したとされる聖堂は地下礼拝堂に建て替えられました。これはノートル・ダム・スー・テール聖堂と呼ばれるものですが、18世紀に復元されたもの。12世紀後半になると、現在の姿のように聖堂となり、ノルマンディー・ロマネスク建築を代表する建築物となりました。
13世紀にはカペー朝の第7代フィリップ2世によって、修道院の北側にゴシック様式の建造物が造られます。これは「ラ・メルヴェイユ(脅威の建築)」と呼ばれ、低層階は巡礼者の宿泊施設、中層階は貴族や騎士のための部屋、最上階は修道士の居住スペースでした。最上階の回廊は220の円柱やアーチから構成され、修道士たちの瞑想の場として利用されていたもの。
しかし、百年戦争後、15世紀初頭に聖堂の内陣は破壊され、15世紀半〜16世紀初頭にはフランボワイアン・ゴシック様式で再建されました。そして、防衛のために軍事施設も加えられています。
16世紀以降は、岩山の斜面に店や宿が造られて巡礼者も増えていきますが、18世紀末のフランス革命時にはここは牢獄として使用されました。19世紀には再び修道院として復活。現在の鐘楼と尖塔は1897年に完成したもの。ゴシック・リヴァイヴァル様式の建造物で、金のミカエル像が加えられました。
島へと続く堤防道路は19世紀後半に作られたのですが、橋の影響で周囲には砂が積もるようになってしまって、島が陸続きとなることが多くなってしまうという事態が発生。よって、2014年には潮の流れが変わらないような新たな橋が設けられてました。
モン=サン=ミシェルとその湾はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
モン=サン=ミシェルとその湾が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
自然環境を大いに利用して建造されたモン=サン=ミシェルは、世界でも類を見ない独特の景観を創り出しているという点。
登録基準(iii)
モン=サン=ミシェルは、島内に修道院と要塞都市が組み合わさった独創的な共同体であるという点。
登録基準(vi)
モン=サン=ミシェルは、中世においてカトリック教徒の重要な巡礼地であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
とにかく、島の上に修道院と街が存在する要塞のような景観を持つモン=サン=ミシェルは、世界でも類を見ない景観で、ユニークな構造。巡礼地として栄えたという点も評価のポイント。
ちなみに、対岸のイギリスのコンウォール地方には、セント・マイケルズ・マウントという似たような構造を持つ島があり、これはもともとモン=サン=ミシェルに与えられたもので分家のようなものでした。しかし、15世紀には解散。現在は他の修道院の所属となり、モン=サン=ミシェルとは無関係です(これは経営という意味で)。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。