アメリカの世界遺産「シャーロッツビルのモンティチェロとバージニア大学」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(4),(6)
登録年1987年

アメリカ東部バージニア州の中央部にある都市シャーロッツビルは、第3代大統領トーマス・ジェファーソンによって建造された私邸兼農園であるモンティチェロと、彼が設立したバージニア大学があり、どちらも世界遺産に登録。ここは建築家でもあり、民主主義の父であるジェファーソンの願いや思想が残っている地でもあります。

ここではシャーロッツビルのモンティチェロとバージニア大学がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、モンティチェロとバージニア大学について詳しくなること間違いなし!

目次

シャーロッツビルのモンティチェロとバージニア大学とは?

トーマス・ジェファーソンの像
画像素材:shutterstock

バージニア州はもともとはバージニア植民地と呼ばれ、アメリカ合衆国でも最初に独立した際の13州の一つ。この地に生まれた、トーマス・ジェファーソン(1743〜1826年)は、第3代大統領(1801〜1809年)になった人物で、アメリカ独立宣言の主な執筆者(1776年)でもあります。

モンティチェロ

1769年にシャーロッツビルの郊外に建造が始まったモンティチェロは、建築家としての側面もあるジェファーソンがデザインして1809年に完成。ここは彼の私邸として建造され、ヨーロッパで過ごしたジェファーソンらしく、邸宅は白いドームがある赤レンガ造りで、16世紀に流行していたイタリアのパッラーディオ風の古典様式も加わったもの。周囲は彼が所有していた大農園もあり、当時ここで労働していた奴隷用の住居なども残っています。

バージニア大学
画像素材:shutterstock

バージニア大学

シャーロッツビルの西側に位置している大学で、大統領の任期が終了した晩年のジェファーソンが1819年に、自らの教育理念を実現するために設立。ここは建築家でもあったジェファーソン自ら設計していて、今でも当時と同じ構造が維持されています。これらは18〜19世紀に流行した、ギリシャの芸術を模範とする新古典主義に属するもの。

ここは全米で最も美しいキャンパスとされ、ローマのパンテオン(ローマ神を奉る万神殿)をモデルにした図書館「ロトランダ」は代表的な建築物。このロトランダの両端からパビリオンが5個ずつ、合計で10個並び、その先に学生用の宿舎が並ぶという配置になっています。

シャーロッツビルのモンティチェロとバージニア大学はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

モンティチェロ
画像素材:shutterstock

モンティチェロとバージニア大学が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
モンティチェロとバージニア大学は、ジェファーソンによるデザインで、18世紀後半のヨーロッパの建築物を研究した結果であり、彼の知識の多様性を示しているということ。

登録基準(iv)
世界遺産に登録されている建築物は、ジェファーソンによる新古典主義様式を代表するもので、建築史に大きく貢献したものであったという点。

登録基準(vi)
モンティチェロとバージニア大学は、トーマス・ジェファーソンの思想に関連していて、これらは彼が熱心に取り組んだ古典主義様式の建築とその政治哲学などから影響を受けたものであるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

シャーロッツビルは、トーマス・ジェファーソンの故郷だけあって、モンティチェロとバージニア大学は、政治家であり、建築家であった彼の思想がそのまま反映された建造物で、新古典主義様式を代表するものであったという点で評価されています。

ジェファーソンが大統領に就任した1801年には妻であるマーサはなくなっていたため、彼らの娘であるマーサ・ワシントン・ジェファーソンがファーストレディになりました。ちなみに、ファーストレディは夫人が務めることが多いのですが、独身だったり、夫人が亡くなっている場合などは、大統領がふさわしいと判断した女性でOKではあるのです。といってもここ150年くらいは、夫人が務めているのですが。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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