中国の世界遺産「承徳の避暑山荘と外八廟」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年1994年

首都北京から北東に位置する承徳は清朝時代の18世紀に建造された皇帝の避暑地でした。さまざまな宮殿と庭園が組み合わさった避暑山荘は、中国全土の縮図とも呼ばれる景観を生み出しています。そして、外八廟はチベットと中国の様式を織り交ぜた寺院が並ぶというもの。

ここではがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、承徳の避暑山荘と外八廟について詳しくなること間違いなし!

目次

承徳の避暑山荘と外八廟とは?

承徳は北京から北東へ約250kmにある都市。ここはかつて清朝の皇帝の離宮であった避暑山荘が建造された地でもありました。周囲にある外八廟を含めて、中国の自然景観と宮殿建築の優れた例として、漢民族、モンゴル族、遊牧民族が崇拝していたチベット仏教の文化交流が見られるのが特徴。

避暑山荘

避暑山荘
画像素材:shutterstock

かつて清の皇帝が、狩りに出かける際に利用した離宮。1703年に康煕帝が着工すると、1792年に乾隆帝の時代に完成したもの。ここは美しい景観として知られる中国江南地方、特に水郷である蘇州をモチーフにしていて、宮殿と庭園が織りなす風景は、皇帝のお気に入りの地でもありました。

外八廟

外八廟
画像素材:shutterstock

避暑山荘を取り囲むように建造された寺院や霊廟の総称のこと。「外八廟」という名称ではあるものの、実際は8箇所だけではなく、多くの施設が並んでいます。1713年に溥仁寺が建造されると、66年に渡ってさまざまな寺院と霊廟が建造されました。

初期に建造された2つの寺院は漢民族の伝統的な建築様式ではあったものの、それ以降に建造された寺院はチベット族の様式で建造される傾向に。特に、普陀宗乗之廟はチベットにあるラサのポタラ宮を模しただけあって「小ポタラ宮」と呼ばれるほど。これらの建設の目的は当時のモンゴル族とチベット人に対しての懐柔策でもありました。

承徳の避暑山荘と外八廟はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

普陀宗乗之廟/承徳の避暑山荘と外八廟
画像素材:shutterstock

避暑山荘と外八廟が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
避暑山荘と外八廟の景観は、中国の宮殿や庭園などの建築様式に大きな影響を与えた建造物であるということ。

登録基準 (iv)
避暑山荘と外八廟は、清王朝という中国の封建王朝の繁栄が見られる建造物であるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

避暑山荘と外八廟は、多民族国家であった清王朝の繁栄していた時代の建造物であり、モンゴル族に対する懐柔策としいう面もありました。そして、ここで確立された建築様式は中国全土に影響を与えたものであるというのもポイント。

ちなみに、外八廟の一つ、普寧寺にある千手千眼観世音菩薩は高さが約27mと、中国最大の木彫りの彫像であると知られています。世界最大の木造観音像ともされますが、日本の観音菩薩像も大体石仏で作られているので、木造の仏像もなかなかないですよね…。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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