登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 1999年 |
首都ベルリン中央部を流れるシュプレー川の中洲には、1824〜1930年の間に建てられた博物館と美術館が並ぶ島があり、これをムゼウムスインゼル(博物館島)と呼びます。これらは古代オリエント・ローマの展示物が多いペルガモン博物館など、国家プロジェクトとして建造されたもの。
ここでは、ベルリンのムゼウムスインゼル(博物館島)がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ムゼウムスインゼル(博物館島)について詳しくなること間違いなし!
ベルリンのムゼウムスインゼル(博物館島)とは?ペルガモン博物館も含まれる?
ドイツの首都ベルリン市街を流れるシュプレー川に浮かぶ中洲であるシュプレー島。この島の北西部は、ムゼウムスインゼル(博物館島)と呼ばれる、1824年から1930年の間に築かれた5つの博物館と美術館が並ぶエリアがあり、旧博物館、新博物館、旧国立美術館、ボーデ美術館、ペルガモン博物館などで構成されています。
もともとこのエリアは、1830年に当時のドイツ北部を治めていたプロイセンの王、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世によって旧博物館が建造されると、1841年に、次代のフリードリヒ・ヴィルヘルム4世が一帯を「芸術と科学の聖域」に指定し、1930年までさまざまな博物館と美術館が建造され、現在のような博物館島が完成したのです。ここは建築物そのものも美しいですが、コレクションを含めての空間も評価。
登録されている主な構成資産
旧博物館
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世によって1830年に完成させた博物館。自ら保管していたギリシャ・ローマのコレクションを国民に対して公開するため、建築家カルル・フリードリッヒ・シンケルに依頼し、新古典主義様式の王位博物館を建造。1845年に旧博物館として公開され、常設展示としては古代ギリシアの美術品がメインとなっています。
新博物館
旧博物館の北側に建造。1859年にシンケルの弟子の一人アウグスト・シュテューラーが設計した博物館で、2番目に建造されたので「新博物館」と呼ばれるように。第二次世界大戦で破壊されたままでしたが、2009年に再オープン。現在は古代エジプトなど、先史時代から古代までの展示品が並びますが、特に有名なのが、エジプトのテル・エル・アマルナで発見された『王妃ネフェルティティの胸像』。
旧国立美術館
これも1876年にアウグスト・シュテューラーによって完成。銀行家のヨハン・ハインリヒ・ワグネルの262点のコレクションが寄贈されたことから、これを展示する目的で造られたもの。現在は古典主義から初期モダニズムの絵画が並んでいます。
ボーデ美術館
北端に位置する博物館で、1904年に建築家エルンスト・ フォン・イーネによって建造。最初は当時のドイツ皇帝フリードリヒ3世によって「カイザー=フリードリヒ博物館」と名付けられましたが、1956年からは初代キュレーターであったヴィルヘルム・フォン・ボーデの名前に変更されました。ここは彫刻やビザンツの美術品、コインなどのコレクションなどが展示されています。
ペルガモン博物館
1930年に開館した最も新しい博物館。「ペルガモンの大祭壇」などを展示するために建設された博物館で、これが名前の由来となっています。ペルガモンの大祭壇は、現在のトルコのベルガマにあるヘレニズム期の都市ペルガモンにあったゼウスの大祭壇を遺物などを使用し、復元したもの。
他にも現在のイラクにある古都バビロンの「イシュタール門」なども有名な展示物。おもにギリシャ、ローマ、中近東のヘレニズムの美術品やイスラム美術品などが展示されています。
ベルリンのムゼウムスインゼル(博物館島)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ムゼウムスインゼル(博物館島)が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ムゼウムスインゼルは1世紀以上に渡って建築され、近代的な博物館や美術館の発展が見られるという点。
登録基準(iv)
ここはもともとは王自ら国民に対して啓蒙するために建造されたもので、ムゼウムスインゼルはそのシンボル的な存在であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
博物館は王による啓蒙主義の一環として、国民に公開するために建造されたもので、国家プロジェクトであったため、それが1世紀以上も続き、近代的な博物館や美術館に発展していったという点で評価。
ちなみに、『王妃ネフェルティティの胸像』はあまりにも有名な展示物ですが、CTスキャンすると「しわ」と「たるみ」が表現されていたことが分かりました。となると、像が作られた時のネフェルティティはある程度の高齢だったのでは?と思われますが、ありがままを作り出す「アマルナ美術」の作品ではあるので、そこは隠さなかったのか…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。