ドイツの世界遺産の数は合計で54件と、世界でも第3位の保有国!ケルンの大聖堂やポツダムのサンスーシ宮殿など…誰もが知る観光地はもちろん世界遺産ではありますが、それ以外はどんな世界遺産があるのでしょうか?
ここでは、ドイツの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
目次
アーヘン大聖堂/1978年登録
フランスとの国境近くのノルトライン=ヴェストファーレン州にあるアーヘンは、かつて西ヨーロッパの大部分を支配したフランク王国の首都的存在になるほど。この地には793〜813年にかけて礼拝堂が建設されました。
八角形の聖堂に壮麗なクーポラ(円蓋)を持つこの大聖堂は、16世紀まで神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式が行われた場所としても有名。
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シュパイヤー大聖堂/1981年登録
ドイツ南西部のラインラント=プファルツ州にある都市シュパイヤー。この街にある大聖堂は、1030年にザーリア朝の神聖ローマ皇帝コンラート2世によって建造。
ここは300年に渡ってドイツ皇帝の埋葬地であった場所で、ドイツ・ロマネスク様式の先駆け的存在。大聖堂には4つの塔と2つのドームがあるという構造で、アーチ型天井のバシリカ式の聖堂となっています。
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ヴュルツブルク司教館(レジデンツ)、その庭園群と広場/1981年登録
南ドイツに位置するバイエルン州のヴュルツブルクは、12世紀から司教領として有名で、大学が置かれた学問都市でもありました。17〜18世紀になると、この地方の領主であるシェーンボルン家が司教を輩出するようになり、ここはドイツで最も美しいとされる司教館となりました。
宮殿は建築家バルタザール・ノイマンによって築かれ、画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロによる壮麗なフレスコ画の天井絵などで有名です。
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ヴィースの巡礼教会/1983年登録
ドイツ南部のバイエルン州。シュタインガーデンという小さな町の近くにはウィースの村があります。のどかな村に奇跡が起きたのは1738年。「ヴィースの涙の奇跡」という不思議な出来事が発生し、やがて巡礼者が集まるようになりました。
1745〜54年にかけてドミニクス・ツィンマーマンという建築家により教会が建造。教会は小さいながらも内部装飾は豪華絢爛で、ロココ様式の傑作として知られています。
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ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルスト/1984年登録
ドイツ西部にある商業都市ケルンは、周囲の地域を含めてケルン司教が治めるという独特のエリアであり、ケルン大司教は神聖ローマ皇帝の選帝侯(皇帝の選挙権を持つ諸侯)を兼ねていて、莫大な経済力を持っていました。
18世紀にバイエルン侯であったマクシミリアン2世の息子であるクレメンス・アウグスト(1700~1761年)がケルン司教になると、ケルン郊外のブリュールに存在していた中世の古城の再建を建築家フランソワ・ド・キュヴィイエに依頼し、豪華な宮殿と郊外の森の中にある狩猟小屋ファルケンルストが設計されました。
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ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル教会/1985年登録
ドイツ北東部にあるニーダーザクセン州。南部に位置するヒルデスハイムは、815年頃にフランク王のルートヴィヒ1世(敬虔王)によって司教座が置かれました。ここには11世紀に司教のベルンヴァルトによって建造され、オットー朝のロマネスク様式の2つのアプス(後陣)を持つ聖ミカエル聖堂があります。
近くにある聖マリア大聖堂は、再建されたものですが、神聖ローマ帝国のロマネスク様式の遺構が残っているということもあり、ここも合わせて世界遺産に登録。
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トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂及び聖母マリア教会/1986年登録
ルクセンブルクとの国境も近いラインラント=プファルツ州にあるトリーアは、モーゼル川の上流に位置し、かつてはローマの植民都市「アウグスタ・トレウェロールム」と呼ばれていました。やがて「第2のローマ」とされるほどに交易の中心地として繁栄。
町には「黒い門」という意味のポルタ・ニグラとローマ皇帝の宮殿跡であったアウラ・パラティナなどが残り、聖ペテロ大聖堂と聖母聖堂はローマ時代の聖堂を改修したもの。
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ハンザ同盟都市リューベック/1987年登録
リューベックはドイツ北部のバルト海沿岸に位置する都市。現在のリューベック付近にはもともとスラブ人の集落があったものの、1143年にハンザ都市になると、1226年に当時のローマ皇帝フリードリヒ2世から「帝国自由都市」として自由に交易ができる特権状をもらいます。
旧市街は保存状態がよく、ハンザ商人たちの邸宅、貯蔵庫、教会、そして、街のシンボルであるホルステン門が今でも見られます。
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ローマ帝国の国境線(イギリスと共同)/1987年登録(2005年・2008年拡大)
ブリテン島北部にローマ人によって築かれたハドリアヌスの長城は、約118kmもの長さで北方民族の襲撃に備えて築かれたもの。ゲルマン民族の襲撃に備えて建造された、現在のドイツのライン川とドナウ川を結ぶ約500kmのリーメスも合わせて登録。
これは約580kmにも渡って続くもので、83年にローマ皇帝ドミティアヌスによって建設が始まり、2世紀末まで改築されつつ維持されていました。現在は総距離の3割程度の遺構が残っていて、約900ヶ所もの物見櫓や60以上の城砦が確認されています。
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ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群/1990年登録(1992年・1999年拡大)
ドイツの首都ベルリンの南西部にある宮殿群、そして、郊外の都市・ポツダムの北東にある宮殿群が合わせて世界遺産として登録されています。ここには、1730年から1916年にかけて150もの宮殿と庭園が築かれ、これらは自然を取り入れながら作られたもの。
その中でもプロイセンのフリードリヒ2世(大王)によって築かれたサンスーシ宮殿は、ドイツ・ロココ様式の傑作です。宮殿に併設された庭園も階段状のテラスになっていて見事。
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ロルシュの大修道院とアルテンミュンスター/1991年登録
ロルシュは、ドイツ中西部のヘッセン州にあり、8世紀に設立された修道院遺跡があります。アルテンミュンスターは「旧司教座聖堂」という意味の通り、ここには聖堂が築かれていました。
16世紀に修道院が解散すると、ここは破壊と再建を繰り返し、現在は「王の門」と呼ばれる門だけが残る遺跡となりました。遺跡からは当時の文化が分かるという点で評価。
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ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラーとオーバーハルツ水利管理システム/1992年登録(2008年拡大)
ドイツ中央部にある都市ゴスラーのランメルスベルク鉱山は11世紀ころから採掘が始まり、貨幣製造など、約800年にわたって使用されてきたもの。ゴスラーは神聖ローマ帝国の帝国議会が置かれたり、ハンザ同盟に参加するほどに繁栄しました。
2008年にはランメルスベルク鉱山近くのオーバーハルツ水利管理システムも追加で登録されました。
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バンベルク市街/1993年登録
バンベルクは、ドイツ南部のバイエルン州の北部にある歴史深い町。10世紀に東フランク王国の領土になると、11世紀に後の神聖ローマ皇帝となるハインリヒ2世が、ここに司教座を設立しました。
彼はここを第二のローマにしようと計画し、大聖堂や修道院などを建造しました。やがてバロック建築が立ち並ぶようになると「バイエルンの真珠」と呼ばれるほどに繁栄。
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マウルブロン修道院の建造物群/1993年登録
バーデン=ヴュルテンベルク州のザルツァハ渓谷に位置するマウルブロンは、中世ヨーロッパで拡大していた修道会の一派、シトー会の修道院があります。ここは12〜16世紀に発展したドイツ最古のシトー会の修道院でもありました。
16世紀に神学校となり、作家のヘルマン・ヘッセもここで学んだことでも有名。13世紀にゴシック様式が加えられたことにより、この修道院は北欧や中欧のゴシック建築に大きく影響を与えました。
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クヴェードリンブルクの聖堂参事会教会、城と旧市街/1994年登録
ドイツ中央部ザクセン=アンハルト州にあるクヴェードリンブルクは、10世紀にオットー家(リウドルフィング家・ザクセン朝)によって支配された町。ハインリヒ1世はここで宮殿を築き、東フランク王国の中心地となると、政治と宗教、商業の中心となりました。
旧市街は14〜19世紀のハーフティンバー様式の木造家屋が1200軒も並び、聖堂参事会教会(聖セルヴァティウス教会)はロマネスク様式の傑作でもあります。
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フェルクリンゲン製鉄所/1994年登録
ドイツ西部のザールラント州のフェルクリンゲンの郊外には、かつてドイツの工業の発展を担った製鉄所跡があります。ここは1873年に開業し、1905〜1914年には6基の大型溶鉱炉が加えられ、宰相ビスマルクによる富国強兵策もあり、最盛期は1日約1000tもの銑鉄を生産したというほど。
ここはヨーロッパや北米で19〜20世紀まで稼働した製鉄所の中でも、ほぼ無傷のまま残るという点で貴重なもの。
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メッセル採掘場の化石発掘現場/1995年登録
ドイツ中西部・ヘッセン州の村メッセル郊外には、オイルシェール(油母頁岩)層があり、ここは42万平方mの敷地に深さ190mもの採掘場がありました。もともとは鉄鉱石の採掘を目的に利用されてきましたが、19世紀後半にワニ属の化石が発見されて以来、さまざまな動物の化石が発見。
オイルシェールの層に埋まっていたため、動物の化石がは非常に状態良く、これらは哺乳類の進化の初期段階を示すものとして貴重なもの。
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ケルン大聖堂/1996年登録
ケルンは、ドイツ西部に位置するライン川沿いの大都市。この街の大聖堂はゴシック建築としては世界最大の大きさを誇ります。1248年に着工し、完成したのがなんと1880年。6世紀もの時間をかけ、設計当時のまま純粋なゴシック様式の建造物を実現した珍しい建造物です。
ステンドグラスは13〜16世紀に作られた古いものから、19〜20世紀に建造されたものまで幅広いのが特徴。
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ヴァイマルとデッサウのバウハウスとその関連遺産群/1996年登録
近代建築四代巨匠の一人であるヴァルター・グロピウスが、ドイツ中央部にあるヴァイマルにて開校した総合造形学校がバウハウスの起源になっています。この学校の開設によって、モダニズム建築に革命を起こすこととなりました。
世界遺産に登録されているのは、ドイツ中央部のヴァイマルとデッサウ、そして、首都ベルリン(ベルナウ)の3都市の学校と建築物。
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アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群/1996年登録
マルティン・ルターは、16世紀の宗教改革の中心人物で、彼がローマ・カトリック教会を批判したことから派生したのが「プロテスタント」。
ルターはアイスレーベンで生まれ、亡くなったため、当時彼が住んでいた家が残っています。そして、ルターが活動したのはヴィッテンベルクという街。ここは贖宥状の販売を批判する「95か条の論題」が発表された地で、宗教改革が始まったという点で記念すべき場所でもあります。
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古典主義の都ヴァイマル/1998年登録
テューリンゲン州の中央部に位置する古都ヴァイマルは、16世紀からザクセン・ヴァイマール公国の都だった場所。ここは文豪文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749〜1832年)が暮らした街で、18世紀末から19世紀初頭まで「ヴァイマール古典主義」と呼ばれる作家を輩出した地でもあります。
世界遺産としては、市内に残る12の歴史的建造物が登録。ゲーテやシラー、ヘルガーが住んだ家や、図書館、城、教会などが登録。
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ベルリンのムゼウムスインゼル(博物館島)/1999年登録
ドイツの首都ベルリン市街を流れるシュプレー川に浮かぶ中洲であるシュプレー島。この島の北西部は、ムゼウムスインゼル(博物館島)と呼ばれる、1824年から1930年の間に築かれた5つの博物館と美術館が並ぶエリアがあります。
古代オリエント・ローマの展示物が多いペルガモン博物館などを含め、博物館や美術館は国家プロジェクトとして建造されたもの。
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ヴァルトブルク城/1999年登録
テューリンゲン州のアイゼナハ郊外の山の上にあるのがヴァルトブルク城。ここは11世紀にテューリンゲン伯によって建造された、後期ロマネスク様式の城です。
19世紀に再建されたものの、邸宅や騎士館などは11世紀の建造当時の姿をよく残します。そして、16世紀にマルティン・ルターがこの城に亡命し、新約聖書のドイツ語訳を行った場所としても有名。
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デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国/2000年登録
ザクセン=アンハルト州に位置する都市デッサウの郊外には、18世紀末にアンハルト=デッサウ侯であったレオポルト3世(1740〜1817年)によって造られたヴェルリッツ庭園が残り、ここはヨーロッパ初の風景式庭園でもあります。
庭園は宮殿や聖堂、パンテオンなどが風景に溶け込むように点在し、これらは当時の領主レオポルト3世の啓蒙思想を領民に浸透させるという目的もありました。
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僧院の島ライヒェナウ/2000年登録
スイスとの国境に面したバーデン=ヴュルテンベルク州のボーデン湖に浮かぶのがライヒェナウ島。ここは8世紀に聖ピルミニウスという人物によって、最古の修道会であるベネディクト会派の修道院として建設されました。
修道院は布教するだけではなく、芸術と文化の発信地でもあり、10〜11世紀に建造された各聖堂には美しいフレスコ画が描かれ、これらはドイツ初期のロマネスク美術の傑作でもあります。
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エッセンのツォルフェアアイン炭鉱業遺産群/2001年登録
エッセンは、ドイツ西部・ノルトライン=ヴェストファーレン州にある都市で、ヨーロッパを代表する工業地帯に属する都市。ドイツ関税同盟(ツォルフェアアイン)によって築かれた炭鉱は、かつて世界最大規模の採掘量を誇り、今でも20世紀に建造されたモダニズム建築が残されています。
これらは150年に渡る鉱業の発展と衰退を示す産業遺産として登録。
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ライン渓谷中流上部/2002年登録
ドイツ西部のラインラント=プファルツ州にあるライン川沿いの渓谷を中心に登録されいていて、60もの小さな町や段々状のぶどう畑、古城などが含まれています。
ここはライン渓谷の中でも深い渓谷があり、小さなV字型の渓谷が15kmも続くバッハラッハ渓谷、幅130mもないライン川で最も川幅が狭いというローレライなどで有名。
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シュトラールズント歴史地区とヴィスマール歴史地区/2002年登録
バルト海岸沿いに位置する港町ヴィスマールとシュトラールズントは13世紀に設立された街。これらは14〜15世紀にかけてハンザ同盟の主要都市として活躍。17〜18世紀には、三十年戦争後、スウェーデンの領地となり、ここはドイツにおける行政と軍事拠点として発展しました。街にはレンガ造りの建造物が多いことが特徴。
特にシュトラールズントはレンガ造りのゴシック建築が発展し、数世紀に渡る建築様式の変化が見られるのが特徴です。
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ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像/2004年登録
ドイツ北西部にあるブレーメン州の州都ブレーメン。中世ではハンザ同盟にも加盟していた商業都市で、12世紀に神聖ローマ帝国内でも自治を認められた自由都市でもありました。旧市街の広場に面した石造りの市庁舎(ラートハウス)は15世紀にゴシック様式で建造され、その後、ルネサンス様式で改築。
市庁舎前のローラント像は、カール大帝に仕えたという伝説的な騎士ローラントをモチーフにしたもので、これは自由都市であったブレーメン市民の自由と権利を表したものでした。
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ムスカウ公園(ポーランドと共同)/2004年登録
公園はドイツとポーランドの間を流れるナイセ川にまたがって広がっています。この公園はこの地に生まれたヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ侯爵が1815〜1845年に庭として造園したもの。
もともと一つの公園だったのですが、ドイツ側はムスカウ公園、ポーランド側はムジャコフスキ公園として第2次世界大戦後に分断。公園内には地元の植物が植えられており、風景に溶け込むように配置した庭園用式は、ヨーロッパとアメリカの造園にも影響を与えました。
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レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ/2006年登録
ドイツ南部にあるバイエルン州に位置するレーゲンスブルクは、古代ローマに遡るほどに歴史深い都市。ここは8世紀にカール大帝がここを支配するようになると、フランク王国の統治下に入り、王宮なども建造されました。
街にはドイツ最古の橋や11〜13世紀に築かれた伝統的な建築物などが現在でも見られます。そして、17〜19世紀には神聖ローマ帝国議会が開催される帝国の中心都市でもあったことでも有名。
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カルパティア山脈とヨーロッパ各地の古代及び原生ブナ林(他ヨーロッパ17ヶ国と共同)/2007年登録(2011・2017・2019年拡大)
ヨーロッパブナは、北はスウェーデン南部から南は地中海岸、西はポルトガル、東はトルコまで広がっていて、氷河期後期には、ヨーロッパの約40%はヨーロッパブナ(ファグス・シルヴァティカ)の林が広がっていました。登録エリア各地にはブナの原生林が広がっていて、ヨーロッパブナの原生林としては世界最大の規模を誇ります。
ドイツとしての登録範囲は、中部のハイニヒ国立公園とケラーヴァルト=エーダーゼー国立公園、北東部のグルムジンの森とミュリッツ国立公園、バルト海に浮かぶリューゲン島のヤスムント国立公園など、5箇所が含まれています。
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ベルリンのモダニズム集合住宅群/2008年登録
首都ベルリンでは、ヴァイマール共和国時代(1918年に発足し、1933年に事実上の解体)になると、労働者の住宅は劣悪なものとなっていたため、その対策として「ジードルング」という集合建築が建造され、これらはモダニズムの建築家たちが設計に多く参加していました。
登録物件は1910〜1933年にモダニズム建築家のブルーノ・タウトをはじめ、当時の代表的な建築家が設計や建築を担当。集合住宅は低所得者に向け、快適な住宅として新しい素材やデザインなどが採用されていました。
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ワッデン海(オランダ・デンマークと共同)/2009年登録(2014年拡大)
ワッデン海とは、オランダのデン・ヘルデルから、ドイツの沿岸を経由してデンマークのエスビャウまで広がる約500kmの海域のこと。ここは塩の干満によって形成される砂州や湿原などが広がるエリアで、ゼニガタアザラシやハイイロアザラシなど、数多くの海洋哺乳類が見られることで知られます。
ドイツでは、「ワッデン海国立公園」が登録されています。
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アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群(スイス・イタリア・ドイツ・オーストリア・スロベニアと共同)/2011年登録
ヨーロッパのアルプス山脈周辺の6ヶ国には、紀元前5000〜500年の先史時代に湖や河川、湿地帯に杭上住居跡が111箇所も残り、これらは水没していたために保存状態が非常に良好。現在は新石器時代から青銅器時代の人々の生活が分かる遺跡となっています。
ドイツでは、南部のスイス国境近くの18箇所が登録されています。
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アルフェルトのファグス工場/2011年登録
ドイツの北東部ニーダーザクセン州にあるアルフェルトという小さな街には、今でも現役の製靴用の靴型工場があります。ここは近代建築の四大巨匠の一人、ヴァルター・グロピウス(1883〜1969年)によって設計された工場。
ここは現役の工場でもあり、巨大なガラスパネルと機能美を備えた施設は、彼が校長を務めた総合造形学校・バウハウスによる作品であり、ヨーロッパと北米の建築の発展を示すもの。
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バイロイト辺境伯歌劇場/2012年登録
ドイツ南部バイエルン州の東側に位置するバイロイトは、音楽祭が毎年開かれることで有名な音楽の都。ここには、ブランデルブルク・バイロイト辺境伯の夫人であり、プロイセンのフリードリヒ2世の姉であるヴィルヘルミーネが望んだことから建造されたオペラハウスがあります。
ここは500名も収容できる大きな劇場であり、「公共施設」としての要素を持つオペラハウスであったという点で、19世紀以降に建造されていく巨大劇場のルーツ的存在でもあります。
ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエ/2013年登録
ドイツ中央部にあるカッセルは、かつてはヘッセン地方の中心都市。12世紀にベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエのある丘の上に場所に城が築かれると、13世紀はにヘッセン方伯の城となり、16世紀にはヘッセン=カッセル方伯領の宮廷が置かれました。
ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエというのは「山の公園ヴィルヘルムスヘーエ」という意味で、庭園は17世紀にヘッセン=カッセル方伯カールによってバロック様式の公園として建造されたもの。
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コルヴァイのカロリング期ヴェストヴェルクとキウィタス/2014年登録
ドイツ西部ノルトライン=ヴェストファーレン州に位置するヘクスター市の郊外に位置するコルヴァイはヴェーザー川沿いにある建造物群。ここは822〜885年に建造された修道院がベースとなっていて、カロリング朝においては最も重視された修道院の一つでもありました。
現在の建造物は17世紀にバロック様式で再建されたものですが、西構(ヴェストヴェルク)はカロリング朝時代のものが残り、壁画からは当時のキリスト教世界や文化などがよく分かるというもの。
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ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街/2015年登録
ハンブルクは、ハンザ同盟(中世の北ヨーロッパの商業圏)の主要都市であり、もともとは自由都市でした。しかし、19世紀後半にドイツ関税同盟という経済圏に組み込まれる際に、自由港地区だけは残すことが許されたため、ハンブルクの商人は世界遺産に登録されたシュパイヒャーシュタット(湾口倉庫群)を建造。
その近くにあるコントーアハウス地区(商館街)は、6つの大きな建築物で構成され、これは当時のハンブルクにおける国際貿易の発展を示すもの。
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モラヴィア教会の入植地(イギリス・アメリカ・デンマークと共同)/2015年登録(2024年拡大)
モラヴィア教会(兄弟団)とは、プロテスタントのルター派教会の一派であり、キリスト教に対し、新生、敬虔さ、伝道、善行を目指すという共同体運動の一つ。もともとはフス派と呼ばれる集団の一派で、15世紀前半にモラヴィア地方(チェコ東部)を中心に活動するも迫害が続き、18世紀に彼らはドイツへと移住し、そこからアメリカをベースに拡大していきました。
ドイツ東部ザクセン州のヘルンフートは、1722年にモラヴィアから教徒が移住し、初めて入植地が築かれた場所。教会の信徒たちはここから世界へと拡大していきました。ここは当時ツィンツェンドルフ伯爵の領地であり、初期の共同体は「ヘルンフート(主の祈り)」と呼ばれ、現在の町の名前もそれに由来しています。
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ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献(他6ヶ国と共同)/2016年登録
ル・コルビュジエ(1887〜1965年)は、近代建築の三大巨匠の一人として有名。数多くある作品の中でも7ヶ国17の建築物が登録されていて、これはそれまでのヨーロッパの建築とは異なり、彼自身が半世紀以上かけて磨いていった新しい概念が導入されたもの。
ドイツで登録されているのは「ヴァイセンホフ・ジードルングの住宅」。これはドイツの南東部の工業都市・シュトゥットガルトにて、1027年にジードルング(共同住宅)の住宅展に出展されたもの。
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シュヴァーベンジュラにある洞窟群と氷河期の芸術/2017年登録
シュヴァーベンジュラ山脈の渓谷に位置する6つの洞窟は4万3000年前に現生人類がヨーロッパに初めて到着した場所で、彼らが暮らした地でもありました。1860年代から発掘が始まり、ここはネアンデルタール人も住んでいたことも確認できるほどに古いもの。
世界遺産に登録されている6つの洞窟では、4万3000〜3万3000年前の遺物、特にオーニャック文化(旧石器時代後期の文化)に属する彫像などが発見され、これらは世界で最も古い造形美術でもあります。
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ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群/2018年登録
ドイツ北部に位置するシュレースヴィヒ渓谷にはダーネヴィアケと呼ばれる土塁があります。近くには交易の中心地であったヘーゼビューという集落遺跡があり、ここには道路や建築物、墓地、港などの遺構が残存。
現在は遺跡となっていて、発掘されているのは現在でも5%程度。2005年にはヴァイキングの家々が復元され、当時の集落の雰囲気が今でも分かるようになっています。
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ナウムブルク大聖堂/2018年登録
ナウムブルクはドイツの北東部にあるザクセン=アンハルト州の南部にある都市で、古くから交易で盛んな地でした。大聖堂は、もともと神聖ローマ帝国初代皇帝のオットー大帝が11世紀にここに司教座を置いたことが起源ではありますが、現在の建造物は13世紀に改築されたものがほとんど。
内部に残る、美しい聖歌隊席と創設者の彫像は「ナウムブルクのマイスター」という人物の傑作として有名です。
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エルツ山地(クルスナホリ)鉱業地域(チェコと共同)/2019年登録
ドイツ南東部のザクセン州とチェコ北西部に位置するエルツ山(チェコ語・クルスナホリ)は標高1244m。ここはドイツとチェコの国境線となっています。12世紀に銀鉱脈が発見されると、20世紀まで約800年に渡ってさまざまな鉱物が採掘されてきた場所。
特に15〜16世紀にかけてヨーロッパで最も重要な鉄鉱石の供給地となり、世界中に技術革新が起こるきっかけにもなりました。19世紀の終わりにはウランの生産地として有名な場所に。
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アウクスブルクの水管理システム/2019年登録
バイエルン州南西部にあるアウクスブルクは、古代ローマからの歴史を誇る都市で、7世紀以上に渡り、革新的な水力工学によって発展した持続可能な水管理システムが今でも風景で見られます。
ここは運河のネットワークが都市を張り巡っていて、15〜17世紀に築かれた給水塔や冷水ホール、水力発電子所など、現在も衛生的な水や持続可能なエネルギーが供給されています。これらの技術革新は水力工学におけるパイオニア的な存在でもありました。
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ローマ帝国の国境線-ドナウのリーメス(西部分)(オランダと共同)/2021年登録
リーメスはラテン語で「国境」を示すもの。現在ではおもに長城を示すことが多い傾向にあります。これらはオランダ・ドイツにまたがる遺産となっていて、南はドイツ中部の都市ボン付近からライン川の左岸に沿って、北海沿岸までローマ帝国の国境線が約400kmも続いていました。
ここはローマ帝国の属州ゲルマニア・インフェリオルの領土だった場所で、北方のゲルマン人を牽制するために、要塞や塔、港、集落、宗教施設などが国境線沿いに点在していましたが、ほとんどが地下に埋没してしまっています。
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ヨーロッパの大温泉保養都市群(ドイツ・オーストリア・ベルギー・フランス・イギリス・チェコと共同)/2021年登録
ヨーロッパ各地には無数の温泉地がありますが、7カ国11箇所の温泉地が世界遺産に選ばれています。これらは1700年頃から1930年代に繁栄した国際リゾート地で、この頃のヨーロッパの温泉街の中でも特に発展した都市。
ドイツで登録されているのは、ドイツ南西部にある保養都市である「バーデン=バーデン」。古代から温泉地であり、19世紀になると、鉄道網が発達し、再び温泉地として栄えます。特にクアハウスと呼ばれる浴場とカジノ、会議場が一体となった複合施設で有名。
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ダルムシュタットのマティルデの丘/2021年登録
ダルムシュタットは、ヘッセン州南部の都市で、中心都市であるフランクフルト・アム・マインから南へ約30kmの位置にあります。ここはかつてヘッセン公の領地でした。
ここは「ユーゲント・シュティール」という、ドイツ発の先鋭的な芸術家運動の拠点となり、現在でも芸術家たちが建造したモダン建築や独特なデザインが見られます。
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シュパイアー、ヴォルムス、マインツのユダヤ人共同体遺跡群/2021年登録
ドイツ西部のライン川沿いの司教都市であるシュパイヤー、ヴォルムス、マインツは、それぞれの頭文字をとって「ShUMサイト」としていて、世界遺産名としてもこれを採用。各都市では10世紀ころからユダヤ人街が建造され始め、ここは「ライン川のエルサレルム」とまで呼ばれるようになりました。
各都市にはシナゴーグ(礼拝所)の他に墓地など、さまざまな遺跡が残っています。
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ローマ帝国の国境線-ゲルマニア・インフェリオルのリーメス(オーストリア・スロヴァキアと共同)/2021年登録
ローマ帝国の北側の国境であるドナウ川沿いには、リーメス(長城)が建設され、見張り台や砦、軍駐屯地などが加わり、強化されていきました。もともとのリーメスは土の堤防だけ築かれたものでしたが、2世紀のトラヤヌス帝の時代になると石で囲まれるようになったのです。
防砦システムは約600kmに渡って築かれ、これらは小さな砦から入植地まで、当時のローマ帝国の辺境における独特の生活が見られるもの。
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エアフルトの中世ユダヤ人関連遺産/2023年登録
ドイツ中央部のテューリンゲン州の州都・エアフルトは、中世から繁栄した交易都市。11世紀になると旧市街にはユダヤ人街が築かれました。現在も中心部に残る「旧シナゴーグ(礼拝堂)」は、最も古い部分が11世紀末にまで遡るという建造物。
その後、旧市街にあったシナゴーグは倉庫やレストランとして使用されたために1000年に渡ってこの地に残り続け、当時のユダヤ人共同体の様子が分かる資料となっています。
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シュヴェリーンのレジデンス集合群/2024年登録
ドイツ北部のシュヴェリーンは、湖に囲まれた街。ここには「北のノイシュヴァンシュタイン城」と呼ばれるシュヴェリーン城があります。16世紀になると、要塞という機能よりも宮殿(レジデンス)としての役割が強くなり、フランスのシャンボール城にインスピレーションを得て、ルネサンス様式の要素が加わりました。
敷地内には、中央の広場を中心に建造物が並び、礼拝堂や劇場、博物館などが並んでいます。部屋数は地下室や屋根裏部屋を含めると、合計で900もあるとか。
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番外編:ドレスデン・エルベ渓谷(2013年登録抹消)
ドイツ東部ザクセン州の州都であり、工業都市・ドレスデンを流れるエルベ川沿いに沿ってさまざまな宮殿や庭園、産業関連の施設が続く景観が2004年に世界遺産に登録。ブラウエス・ヴンダー橋(青い奇跡の橋)、ドレスデン・ケーブルカー、ドレスデン・サスペンション鉄道などの19世紀〜20世紀初頭に発展した、交通関連の遺産も含まれていました。
しかし、2005年に新しいコンクリート橋の建設が決定すると、景観の保護が損なわれるとされ、2009年には登録が抹消されてしまいました。
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世界遺産マニアの結論と感想
ドイツの世界遺産は文化遺産が51件、自然遺産が3件と盛りだくさん!ケルン大聖堂やサンスーシ宮殿など、誰もが思い浮かべるドイツのイメージがありますが、それだけなく、ローマ遺跡や産業遺産、化石まで、ありとあらゆるものが世界遺産に登録されているので、ぜひディープに楽しんでみてくださいね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。