登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(3),(4) |
登録年 | 1987年 |
メキシコ・ユカタン半島の付根部分に位置するパレンケ遺跡。ここは6〜8世紀頃に栄えたマヤ文明の都市で「碑文の神殿」を筆頭に美しい建築物やレリーフなどが見られます。しかし、他のマヤ遺跡との違いは、神殿の下に墓が発見されたということ。
ここでは、古代都市パレンケと国立公園がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、パレンケとについて詳しくなること間違いなし!
古代都市パレンケと国立公園とは?マヤ文明の遺跡を解説
パレンケはメキシコ南東部にあるチアパス州に位置し、ウスマシンタ川沿いのジャングルの中にある古代都市。保存状態もよく、マヤ文明の古典期と呼ばれる時代の都市を代表する遺跡です。
都市としての起源は4世紀に遡ります。そして、6世紀にはこの地方の中心都市となり、8平方kmもの敷地内には500もの建築物が現存し、他都市の交流も盛んでした。人や動物などを描いた美しいレリーフも点在。しかし、他のマヤ文明と同じく、10世紀には廃墟になってしまいます。パレンケは18世紀以降に発見されたものの、本格的に調査が始まったのは1948年から。現在においても遺跡全体の10%しか調査できていないのです。
登録されている主な構成資産
碑文の神殿
ピラミッド型になっており、遺跡の中で最も高い建造物。壁の一面にマヤ文字が掘られていることからこの名が付けられました。神殿の最上階の部屋からはパレンケ王家の歴史が記された碑文が発見。それだけではなく、1952年には神殿の地下に石棺が発見されました。その中には、翡翠をつなぎ合わせた仮面を付けた人骨が入っていて、この人物は7世紀にこの地を治めたパカル王であったと特定されています。
この発見により、それまでは中米のピラミッドは「神殿の土台」だと考えられていたのですが、遺体が発見されたことから定説を覆すこととなったのです。
宮殿
遺跡の中心部にあるパレンケ王家が住んでいたと考えられている建物。中庭を囲むように建物が造られ、回廊は持送りアーチという技術も使われています。宮殿のシンボルである4階建ての塔は物見櫓として造られ、マヤ文明の建築物としてここまで高い塔は珍しいもの。
古代都市パレンケと国立公園はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
パレンケが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
碑文の神殿など、パレンケはマヤ文明の都市として比類のない美しい建築物であったということ。
登録基準(ii)
パレンケはウスマシンタ川流域で影響力を持ち、マヤ文化圏の西端まで広がっていったという点。
登録基準(iii)
パレンケは宮殿や神殿に多くのレリーフが残っており、マヤの神話と儀式の様子を現在まで残しているということ。
登録基準(iv)
マヤ文明の中でも早期に発展した都市で、マヤ文明の古典期の優れた宗教建造物が残っているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
評価基準として、実はパレンケ王の墓の発見はほぼ関係なく、むしろマヤ文明の古典期に発展し、パレンケが周辺一帯を支配して、宮殿や神殿などには当時の彼らの世界観が分かるレリーフなどを残していたといったことが評価に繋がっています。
ちなみに、パカル王の石棺には、ロケットにまたがった宇宙飛行士が刻まれているというトンデモ説がありますが…これはロケットではなく、トウモロコシをイメージした装飾であるというのが一般的です。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。