イランの世界遺産「パサルガダエ」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(2),(3),(4)
登録年2004年

イラン南西部のファールス州にあるパサルガダエは、かつてアケメネス朝ペルシャの首都であった場所。ここは紀元前6世紀に建造された都市で、宮殿や庭園、霊廟など、ペルシャ帝国初期の建築技術の基礎が見られます。最も有名なのは、アケメネス朝ペルシャの創設者・キュロス2世の墓。地中海沿岸からインダス川まで支配した王朝だけあって、建築物はさまざまな様式が見られ、多様性が尊重されていたということが分かります。

ここでは、パサルガダエがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、パサルガダエについて詳しくなること間違いなし!

目次

パサルガダエとは?

パサルガダエ
画像素材:shutterstock

パサルガダエは「ペルシャ人の本営」という意味で、現在のイラン南西部のファールス州に造られました。最も有名な遺跡であるペルセポリスから北東87Kmに位置しており、アケメネス朝の最初の首都となった場所でもあります。アケメネス朝とは、紀元前6世紀にに建国された国家で、このあたり一帯に住むペルシャ人が築いた世界帝国。最盛期には地中海沿岸からインダス川まで支配していました。

そして、その王朝を開いたのがキュロス2世という人物。彼がここに都を築き、かつての宮殿と庭園は現在も区画として残っています。キュロス2世の墓は、アケメネス朝の建築技術と芸術的センスの結晶で、ペルシャ帝国初期の建築技術の礎となりました。この地で確立された庭園を四分割するという「チャハルバーグ(四分庭園)」は、西アジアの庭園の基本ともなったのです。

アケメネス朝は、多くの地域や国を支配しましたが、一方的に自分たちの文化を押し付けることなく、その民族の文化を尊重する国家でした。よって、他の地域の建築様式なども、アケメネス朝の建造物に見られます。そして、この建築の概念がやがてペルセポリスへ受け継がれていくのです。

登録されている主な構成資産

キュロス2世の墓

キュロス2世の墓/パサルガダエ
画像素材:shutterstock

丘の上に造られたアケメネス朝ペルシャの創始者キュロス2世の墓。墓室の高さは2mを越え、幅も2mほど。「ソロモンの王座」とも呼ばれ、アケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロス大王が墓の中に金色の棺桶などのお宝を発見したと伝わりますが、現在ではただ石灰岩で造られた墳墓が残るのみ。手前には小さな入口があるものの、何かが発見されたということもありません。

パサルガダエはどんな理由で世界遺産に登録されているの?

キュロス2世の墓/パサルガダエ
画像素材:shutterstock

パサルガダエが評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
パサルガダエは、アケメネス朝の建築の中でも最初期の傑作であるという点。

登録基準(ii)
アケメネス朝は世界帝国だったため、さまざまな文化が融合しており、それがペルシャの芸術や建築技術の発展につながったということ。

登録基準(iii)
遺跡にはアケメネス朝の創始者・キュロス2世の墓があり、アケメネス朝の存在を証明するものであるという点。

登録基準(iv)
パサルガダエの庭園には、四分割するという「チャハルバーグ(四分庭園)」様式が見られ、これが西アジアの庭園の基本ともなったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

パサルガダエは、キュロス2世が造成した都という価値だけではなく、帝国内の文化が融合し、それがペルシャ建築の基礎になったという点で評価されています。そして、現在は区画しか残っていませんが、ここで見られる「チャハルバーグ(四分庭園)」は、西アジアの庭園の起源となったというのもポイント。

…そして、この四角い墳墓を何度も「キュロス2世の墓」と書きましたが、実はこれ全く根拠がなく、ギリシャの歴史家の記述をもとに伝えられているだけなのです。でも、これ以外大きな墳墓も残ってないし…こんなこというのも無責任なのですが、「多分」キュロス2世級の人物の墓であることは間違いはなさそうです。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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