イランの世界遺産全27件をまとめました!それぞれを一覧にして世界遺産マニアが解説

  • URLをコピーしました!

イランの世界遺産の数は合計で27件。壮大な古代遺跡ペルセポリスや「世界の半分」と呼ばれるエスファハーンのイマーム広場なども世界遺産として有名。中東でも指折りの世界遺産保有国でもありますが、それ以外ではどんな世界遺産があるのでしょうか?

ここでは、イランの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。

目次

チョガ・ザンビール/1979年登録

チョガ・ザンビール/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

イラクとの国境にも近いフーゼスターン州に位置するチョガ・ザンビールは、エラム王国(現在のイラン南西部に紀元前33世紀頃から紀元前6世紀頃に存在していた古代国家)の首都スーサの近くにあった宗教都市。

都市は聖地であった場所に紀元前1250年頃建造され、かつてはインシュナク神に捧げるための聖塔・ジッグラトが存在していました。ジッグラトは崩壊していますが、現在でも24.75mもの高さがあります。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「チョガ・ザンビール」とは?ジッグラトを含めて世界遺産マニアが解説 イラン南西部の荒野に位置するチョガ・ザンビールの遺跡があります。ここはエラム王国時代の聖地であった場所に紀元前1250年頃建造され、かつてはインシュナク神に捧げるための聖塔・ジッグラトが存在していました。現在は崩壊していますが、24.75mもの高さがあります。 ここではチョガ・ザンビールがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、チョガ・ザンビールについて詳しくなること間違なし!

ペルセポリス/1979年登録

ペルセポリス/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

ペルセポリスは、イラン南部のファールス州の高原に位置する広大な遺跡。ここは紀元前518年にアケメネス朝ペルシャの王・ダレイオス1世によって築かれた宗教都市でした。

広大な領土を持ったアケメネス朝が築いた都市だけあって、敷地には豪華な宮殿が建設されました。現在はほとんどが崩壊してしまいましたが、壮麗なレリーフや門、宮殿跡などからは当時の様子がイメージできるほど。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「ペルセポリス」とは?場所はどこ?碑文を含めて世界遺産マニアが解説 イラン南部の高原に位置するペルセポリスは、紀元前518年にアケメネス朝ペルシャの王・ダレイオス1世によって築かれた宗教都市。広大な領土を持ったアケメネス朝が築いた都市だけあって、豪華な宮殿が建設されました。現在はほとんどが崩壊してしまいましたが、壮麗なレリーフや門、宮殿跡などからは当時の様子がイメージできるほど。 ここでは、ペルセポリスがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ペルセポリスについて詳しくなること間違なし!

エスファハーンのイマーム広場/1979年登録

エスファハーンのイマーム広場/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

エスファハーンはイラン中部にあるエスファハーン州の州都。イラン高原は乾燥地帯で、エスファハーンは街の中心を流れるザーヤンデ川の水を利用したオアシス都市です。

ここには「世界の半分」と呼ばれるほどに美しいイマーム広場があります。広場のほとんどの建築物は17世紀にサファヴィー朝のシャー(王)であるアッバース1世に建造されたもの。大きな広場には縁を沿うように美しいモスク、宮殿、回廊が作られ、当時ここを支配していてサファヴィー朝の美的センスや技術力の高さを示しています。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「エスファハーンのイマーム広場」とは?世界の半分と呼ばれた理由を含めて世界遺産マ... イラン高原のほぼ中央に位置するエスファハーンには「世界の半分」と呼ばれるほど美しいイマーム広場があります。ほとんどの建築物は17世紀にサファヴィー朝のシャー(王)であるアッバース1世に建造されたもの。大きな広場には縁を沿うように美しいモスク、宮殿、回廊が作られ、当時ここを支配していたサファヴィー朝の芸術性や技術力の高さを示しています。 ここでは、エスファハーンのイマーム広場がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、イマーム広場について詳しくなること間違なし!

タフテ・ソレイマーン/2003年登録

タフテ・ソレイマーン/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

イランでも最も西部にある西アーザルバーイジャーン州のタフテ・ソレイマーンは、火山地帯にある谷間に位置しています。ここは約2500年に渡って使用されたゾロアスター教の聖地であり、拝火壇(アザル・ゴシェナスブ)が置かれた重要な場所でもありました。

タフテ・ソレイマーンに築かれた神殿と宮殿は、イスラム時代の建築物に大きく影響を与えています。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「タフテ・ソレイマーン」とは?世界遺産マニアが解説 イラン北西部にあるタフテ・ソレイマーンは、ササン朝ペルシャ(224〜651年)の聖地であり、ここにはゾロアスター教の拝火壇(アザル・ゴシェナスブ)が置かれた重要な場所でもありました。この地に存在した神殿や宮殿などは後のイスラム建築の発展に大きな影響を与えています。 ここではタフテ・ソレイマーンがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、タフテ・ソレイマーンについて詳しくなること間違なし!

パサルガダエ/2004年登録

パサルガダエ/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

パサルガダエは「ペルシャ人の本営」という意味で、現在のイラン南西部のファールス州に造られました。最も有名な遺跡であるペルセポリスから北東87Kmに位置しており、アケメネス朝の最初の首都となった場所でもあります。

ここは紀元前6世紀に建造された都市で、宮殿や庭園、霊廟など、ペルシャ帝国初期の建築技術の基礎が見られます。最も有名なのは、アケメネス朝ペルシャの創設者・キュロス2世の墓。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「パサルガダエ」とは?世界遺産マニアが解説 イラン南西部のファールス州にあるパサルガダエは、かつてアケメネス朝ペルシャの首都であった場所。ここは紀元前6世紀に建造された都市で、宮殿や庭園、霊廟など、ペルシャ帝国初期の建築技術の基礎が見られます。最も有名なのは、アケメネス朝ペルシャの創設者・キュロス2世の墓。地中海沿岸からインダス川まで支配した王朝だけあって、建築物はさまざまな様式が見られ、多様性が尊重されていたということが分かります。 ここでは、パサルガダエがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、パサルガダエについて詳しくなること間違なし!

バムとその文化的景観/2004年登録

バムとその文化的景観/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

イラン南東部にあるケルマーン州。イラン高原の南部に位置する高原都市であるバムは、山々に囲まれた谷に築かれた都市。カナートという地下水路を使用した水が流れ込む地であるため、周囲は豊かな土壌でもありました。

ここは7世紀から11世紀にかけて交易ルートの中継地となり、絹と綿の衣類の生産で繁栄。街の北東部にあるアルゲ・バム(バム城塞)は9世紀に建造され、周囲の中世の要塞建築の中でも代表的なものでもあります。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「バムとその文化的景観(アルゲ・バム)」とは?世界遺産マニアが解説 イラン南部に位置するオアシス都市・バムは、アケメネス朝(紀元前550〜330年)時代に遡るほどに古い街。その後、ここは7世紀から11世紀にかけて交易ルートの中継地となり、絹と綿の衣類の生産で繁栄。街の北東部にあるアルゲ・バム(バム城塞)は9世紀に建造され、周囲の中世の要塞建築の中でも代表的なものでもあります。 ここではバムとその文化的景観(アルゲ・バム)とその文化的景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、バムについて詳しくなること間違なし!

ソルターニーイェ/2005年登録

ソルターニーイェ/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

首都テヘランから北西へ約240km。ソルターニーイェはザンジャーン州の東部にある都市遺跡で、ここはイル・ハーン朝(1258〜1353年)の首都だった場所。

ここに残るオルジェイトゥ廟は、高さ約50mの八角形のドームと8つのミナレット(尖塔)を持つというペルシャ建築の傑作で、イスラム建築の発展において重要なもの。これはカザフスタンのホージャアフマド・ヤサヴィー廟やインドのタージ・マハルに影響を与えています。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「ソルターニーイェ」とは?世界遺産マニアが解説 イラン北西部にあるソルターニーイェは、かつてイル・ハーン朝時代の首都であった場所。ここに残るオルジェイトゥ廟は、高さ約50mの八角形のドームと8つのミナレット(尖塔)を持つというペルシャ建築の傑作で、イスラム建築の発展において重要なもの。これはカザフスタンのホージャアフマド・ヤサヴィー廟やインドのタージ・マハルに影響を与えています。 ここではソルターニーイェがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ソルターニーイェについて詳しくなること間違なし!

ベヒストゥン/2006年登録

ベヒストゥン/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

イラン西部のケルマンシャー州に位置する遺跡で、60mもの石灰岩の崖に多言語の碑文が刻まれたもの。ここはイラン高原とメソポタミアを結ぶ交易路に位置し、遺跡は先史時代からアケメネス朝とそれ以降のものも含まれていますが、主に紀元前6世紀から紀元6世紀までの遺構が多いというのが特徴。

その中でも紀元前521年に建造のダレイオス1世が王位に付いたことを記念した碑文とレリーフが有名。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「ベヒストゥン」とは?世界遺産マニアが解説 イラン西部にあるべヒストゥンは、イラン高原とメソポタミアを結ぶ交易路に位置し、ここには先史時代からメディア、アケメネス朝、ササン朝、イル・ハン朝時代までの遺構が残っています。その中でも紀元前521年に建造された、ダレイオス1世が王位に付いたことを記念した碑文とレリーフが有名。 ここではベヒストゥンがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ベヒストゥンについて詳しくなること間違なし!

イランのアルメニア人修道院建造物群/2008年登録

イランのアルメニア人修道院建造物群/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

イラン北西部は、かつてアルメニア王国(紀元前190年〜428年)の領土で、この国家は301年に世界で初めてキリスト教を公認した国で、キリスト教の一派であるアルメニア使徒教会が広く信仰されていました。

聖タデウス修道院、聖ステファノス修道院、生神女マリア聖堂が登録され、これらは信仰の中心地として繁栄した足跡を残すもの。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「イランのアルメニア人修道院建造物群」とは?世界遺産マニアが解説 イラン北西部にある聖タデウス修道院、聖ステファノス修道院、生神女マリア聖堂の3つの建造物が世界遺産に登録。これらはかつてこの地がアルメニア王国(世界で初めてキリスト教を公認した国)に属していた時期に建造され、アルメニア正教の普及を目的とした施設でした。 ここではイランのアルメニア人修道院建造物群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アルメニア人修道院建造物群について詳しくなること間違なし!

シューシュタルの歴史的水利施設/2009年登録

シューシュタルの歴史的水利施設/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

シューシュタルは、イラン南西部に位置するフーゼスターン州の都市で、イラン最長のカルン川沿いに紀元前5世紀に設立。この街は、周囲にあるアケメネス朝時代の首都の一つ・スーサにも関連していて、3世紀のササン朝時代になると、灌漑や水の供給、水の貯蓄を目的とした水利システムが作られました。

当時の水利システムは今も残り、そのうちのガルガー運河は現在も利用されていて、都市の周囲の農地や果樹園に水を届け続けています。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「シューシュタルの歴史的水利施設」とは?世界遺産マニアが解説 イラン南西部のシューシュタルは、紀元前5世紀のアケメネス朝時代からの歴史がある都市で、カルン川という大きな川を利用して2つの運河が造られました。ここはササン朝ペルシャ(224〜651年)の時代の推理システムが残り、そのうちのガルガー運河は現在も利用されていて、都市の周囲の農地や果樹園に水を届け続けています。 ここではシューシュタルの歴史的水利施設がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シューシュタルについて詳しくなること間違なし!

アルダビールのシャイフ・サフィーアッディーン廟の歴史的建造物/2010年登録

アルダビールのシャイフ・サフィーアッディーン廟の歴史的建造物/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

アルダビールは、アルダビール州の州都であり、標高約1500mにある高原都市でもあります。ここは後にイラン全体を支配するサファヴィー朝の前身であるサファヴィー教団が生まれた地。

ここには教祖であるサフィー・アッディーンの霊廟があり、病院、モスク、学校など、霊廟を中心とした複合施設が16世紀初頭〜18世紀末にかけて建造され、イスラム建築の傑作でもあります。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「アルダビールのシャイフ・サフィーアッディーン廟の歴史的建造物」とは?世界遺産マ... イラン北西部にあるアルダビールは、サファヴィー朝(1501〜1736年)の前身であるサファヴィー教団の発祥の地。ここには教祖であるサフィー・アッディーンの霊廟があり、ここは病院、モスク、学校など、霊廟を中心とした複合施設が16世紀初頭〜18世紀末にかけて建造され、イスラム建築の傑作でもあります。 ここではアルダビールのシャイフ・サフィーアッディーン廟の歴史的建造物がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シャイフ・サフィーアッディーン廟の歴史的建造物について詳しくなること間違なし!

タブリーズの歴史的バザール施設/2010年登録

タブリーズの歴史的バザール施設/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

東アーザルバーイジャーン州の州都であるタブリーズは、イラン北西部でも最大の経済都市。街の中心部では、中東最古のバザール(屋根付き市場)があり、その歴史は1000年にも渡ります。

バザールは東西の交易ルートに、レンガ造りの建造物が並び、ここは商業活動だけでなく、親睦や教育、イスラム関連の施設も置かれていて、商売や取引としての機能だけでなく、文化や政治的な面でも重要なものでした。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「タブリーズの歴史的バザール施設」とは?世界史や絨毯を含めて世界遺産マニアが解説 イラン北西部に位置するタブリーズは、かつてイル・ハン国やサファヴィー朝時代は首都になったこともあり、商業都市として発展しました。この街には中東でも最古のバザールがあり、屋根付きの市場は1000年にも渡って商業の中心として重要な役割を果たしてきました。 ここではタブリーズの歴史的バザール施設がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、タブリーズのバザールについて詳しくなること間違なし!

ペルシャ式庭園/2011年登録

ペルシャ式庭園/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

イラン各地に残る9つの庭園をここでは「ペルシャ式庭園」としていて、紀元前6世紀のアケメネス朝の初代皇帝キュロス2世が建造した庭園がルーツとされるもの。これらは乾燥地帯であるイランにおいて、何世紀にも渡って発展してきました。

庭園はゾロアスター教の要素を象徴する構造となっていて、インドやスペインなどの庭園デザインにも影響を与えています。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「ペルシャ式庭園」とは?エラム庭園とフィン庭園を含めて世界遺産マニアが解説 ペルシャ庭園は、紀元前6世紀のアケメネス朝のキュロス2世の時代に築かれた庭園にルーツを持つほどに古いもの。イラン各地に残る9つの庭園が登録。これらはゾロアスター教の要素を象徴する構造となっていて、インドやスペインなどの庭園デザインにも影響を与えています。 ここではペルシャ式庭園がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ペルシャ式庭園について詳しくなること間違なし!

エスファハーンのマスジェデ・ジャーメ/2012年登録

エスファハーンのマスジェデ・ジャーメ/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

イラン中部の古都エスファハーン。8世紀には既に現在のジャーメ・モスクがある位置にモスクが建造され、近くにあるコフネ広場を中心にイスラム都市として発展していきます。

ここは「チャハル(4)・イーワーン」と呼ばれる中庭を4方向から囲むという建築様式が見られる最初のモスクで、ネザム・アル・モルク・ドームにはイスラム王朝で二重殻ドームが採用され、これらは1200年にわたるイスラム美術の発展を示すもの。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「エスファハーンのジャーメ・モスク」とは?世界遺産マニアが解説 イラン中部の古都エスファハーンの中心部に残るジャーメ・モスクは「金曜モスク」と呼ばれ、841年建造とイラン最古の金曜礼拝用の大規模モスクです。ここは「チャハル(4)・イーワーン」と呼ばれる中庭を4方向から囲むという建築様式が見られる最初のモスクで、ネザム・アル・モルク・ドームにはイスラム王朝で二重殻ドームが採用され、これらは1200年にわたるイスラム美術の発展を示すもの。 ここではエスファハーンのジャーメ・モスクがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ジャーメ・モスクについて詳しくなること間違なし!

ゴンバデ・カーブース/2012年登録

ゴンバデ・カーブース/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

トルクメニスタンの国境沿いに広がるゴレスターン州にあるゴンバデ・カーヴース。ここはシーア派のイスラム王朝ズィヤール朝(927〜1043年)の首都ジョルジャーンの近くにあった場所で、53mの塔はゴンバデ・カーブースと呼ばれます。

これは11世紀にズィヤール朝4代目の君主カーブース・ブン・ワシュムギールが建造したもの。その革新的な建築様式は周囲のイスラム国家の建築物に影響を与えるほどの傑作でもあります。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「ゴンバデ・カーブース」とは?世界遺産マニアが解説 イラン北東部にある都市ゴンバデ・カーブースには、同名の塔があり、これは11世紀にズィヤール朝4代目の君主カーブース・ブン・ワシュムギールが建造したもの。ここはかつてズィヤール朝の首都であったジョルジャーンと呼ばれた時代の名残で、その革新的な建築様式は周囲のイスラム国家の建築物に影響を与えるほどの傑作。 ここではゴンバデ・カーブースがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ゴンバデ・カーブースについて詳しくなること間違なし!

ゴレスターン宮殿/2013年登録

ゴレスターン宮殿/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

イランの首都テヘランの中心部に残るのが、ゴレスターン宮殿。テヘランは18世紀に開かれたガージャール朝の首都であり、この地に造られた宮殿は現在のテヘランでも最も古い建設物の一つ。

宮殿は、ペルシャの伝統的な芸術品と工芸品を使用しながらも18世紀当時のヨーロッパの建築様式を取り入れた先鋭的な建築物でした。単純にシャー(王)の住処というだけではなくガージャール朝時代の建築と芸術の中心地であったのです。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「ゴレスターン宮殿」とは?世界遺産マニアが解説 イランの首都テヘランの中心部に残るのが、ゴレスターン宮殿。テヘランは18世紀に開れたガージャール朝の首都であり、この地に造られた宮殿は現在のテヘランでも最も古い建設物の一つ。宮殿はペルシャ伝統の芸術品や工芸品を配しながらも西洋の建築技術が融合されたという点で評価されています。 ここでは、ゴレスターン宮殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ゴレスターン宮殿について詳しくなること間違なし!

シャフリ・ソフタ/2014年登録

シャフリ・ソフタ/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

アフガニスタンとの国境に面したスィースターン・バルーチェスターン州にある日干し煉瓦の都市遺跡は、シャフレ・ソフタと呼ばれ、イラン東部でも最初期の都市であり、繁栄した文明が存在したと考えられています。

ここは紀元前3200年ころに誕生してから、紀元前1800年頃までに4つの段階で人口が増加したものの、最終的には水路の迂回や気候変動によって都市は放棄。しかし、砂漠地帯にあったため、保存状態は良好です。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「シャフレ・ソフタ」とは?世界遺産マニアが解説 イラン東部に位置するシャフレ・ソフタは「燃えた街」という意味を持つ遺跡。青銅器時代はイラン高原を横断するルートの交差点で、この地域の最も初期の社会が見られるもの。紀元前3200年ころに設立してから、紀元前1800年頃までに4つの段階で人口が増加したものの、最終的には水路の迂回や気候変動によって都市は放棄。しかし、砂漠地帯にあったため、保存状態は良好です。 ここではシャフレ・ソフタがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シャフレ・ソフタについて詳しくなること間違なし!

メイマンドの文化的景観/2015年登録

メイマンドの文化的景観/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

イラン南東部のケルマーン州に位置するメイマンド村は、イラン高原に広がるザクロス山脈の南端にある渓谷にある36の村々が点在するエリア。

村人は春から秋にかけて山の集落で放牧をしながら暮らし、冬になると渓谷にある洞窟住居に住むという珍しい習慣があることで有名。ここは家畜ではなく、人間そのものが移動するという独自の生活様式が現在でも続いているという文化的景観が見られます。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「メイマンドの文化的景観」とは?世界遺産マニアが解説 メイマンド村は、イランでも中央部にある渓谷の外れに位置する半乾燥地帯にあります。村人は春から秋にかけて山の集落で放牧をしながら暮らし、冬になると渓谷にある洞窟住居に住むという珍しい習慣があることで有名。ここは家畜ではなく、人間そのものが移動するという独自の生活様式が現在でも続いているという文化的景観が見られます。 ここではメイマンドの文化的景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、メイマンドについて詳しくなること間違なし!

スーサ/2015年登録

スーサ/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

イラン南西部にあるフーゼスターン州のシューシュは、かつてスーサと呼ばれ、紀元前4500年前から都市が存在したというほどに歴史の深い都市。街の中心部シャブール川の東側に丘があり、ここにはかつて存在していた都市の遺跡があります。

ここはエラム王国、アケメネス朝、パルティア、ササン朝など、13世紀までの都市遺跡が層を成していて、さまざまな時代の建築物や宮殿、住居などが発掘されています。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「スーサ」とは?その場所も含めて世界遺産マニアが解説 イランの南西のザグロス山脈の近くに位置するスーサは、紀元前4500年前から存在するという歴史の深い街。ここはエラム王国、アケメネス朝、パルティア、ササン朝など、13世紀までの都市遺跡が層を成していて、さまざまな時代の建築物や宮殿、住居などが発掘されています。 ここではスーサがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、スーサについて詳しくなること間違なし!

ルート砂漠/2016年登録

ルート砂漠/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

イラン南東部に広がる広大な砂漠で、長さ480km、幅320kmという広さを誇ります。「ルート」とは、ペルシャ語で「水がなく、草木が生えない土地」という意味。

ここは世界で最も暑い場所の一つとして知られ、6〜10月頃に風で堆積物が持ち込まれ、風食によってヤルダンという独特の地形を生み出しています。砂丘も含めて、砂漠の風景が変化する様子も見られるというのも特徴。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「ルート砂漠」とは?世界遺産マニアが解説 イランの南東に広がる広大な砂漠。ここは世界で最も暑い場所の一つとして知られ、6〜10月頃に風で堆積物が持ち込まれ、風食によってヤルダンという独特の地形を生み出しています。ここは砂漠や砂丘も含まれていて、砂漠の風景が変化する様子も見られるというのも特徴。 ここでは、ルート砂漠がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ルート砂漠について詳しくなること間違なし!

ペルシア式カナート/2016年登録

ペルシア式カナート/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

イランの国土はほとんどが砂漠地帯であるため、農業や都市の水源として、山の地下水から地下道を通して街まで水を引くというカナートと呼ばれるシステムによって支えられてきました。

国内には11のカナートが世界遺産に登録されていて、これらは街の地下にあり、貯水池や庭園、休憩所、農場など、さまざまな場面で利用。カナートは砂漠の文化を現在に伝えるものでもあります。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「ペルシア式カナート」とは?どの場所にある?世界遺産マニアが解説 イランはほとんどが乾燥地帯のため、古来から農業や生活のためにカナートと呼ばれる地下灌漑水路システムが利用されてきました。イラン国内には11のカナートが世界遺産に登録されていて、これらは街の地下にあり、貯水池や庭園、休憩所、農場など、さまざまな場面で利用。カナートは砂漠の文化を現在に伝えるものでもあります。 ここではペルシア式カナートがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ペルシア式カナートについて詳しくなること間違なし!

ヤズドの歴史都市/2017年登録

ヤズドの歴史都市/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

ヤズドは、イラン中央部の高原にあるオアシス都市です。砂漠にあるため、水は限られた資源。水はカナートと呼ばれる水路のシステムによって都市に運ばれてきます。実は町の各所はカナートの上に建てられており、町の人々の共有物。水路が地表に出る場所が井戸として、現在も人々に使用されています。

旧市街には、バザール、ハマム、モスク、庭園…土で造られた家々が並ぶ、美しいオアシスの風景が今も残ります。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「ヤズドの歴史都市」とは?カナートとはどんなもの?世界遺産マニアが解説 ヤズドはイラン高原の真ん中にあるオアシス都市。地下水を汲み上げるために開発されたカナートというシステムを駆使して都市が作られました。バザール、ハマム、モスク、庭園…土で作られた美しいオアシスの風景が今も残ります。 ここでは、今回はヤズドがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヤズドについて詳しくなること間違なし!

ファールス地方のサーサーン朝考古景観/2018年登録

ファールス地方のサーサーン朝考古景観/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

ファールス州はイラン南部に位置していて、ファールスは「ペルシャ」の語源ともなっており、紀元前1000年頃に現在のペルシャ人のルーツである民族が進出した地。ここにはサーサーン朝ペルシャ時代(224〜651年)の3つのエリアにある8つの考古学遺跡が残っています。

登録エリアは王朝の創始者であるアルデシール1世と彼の息子であるシャープール1世が築いた都市や建造物が点在。現在も残る建造物は自然の地形を利用していて、ローマ帝国や過去の王朝であるアケメネス朝やパルティアなどの文化的影響を受け、イスラム時代にも影響を与えたもの。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「ファールス地方のサーサーン朝考古景観」とは?世界遺産マニアが解説 イラン南部ファールス州には、サーサーン朝ペルシャ(224〜651年)時代の3つのエリアにある8つの考古学遺跡が残っています。ここは王朝の創始者であるアルデシール1世と彼の息子であるシャープール1世が築いた都市や建造物が点在。現在も残る建造物は自然の地形を利用していて、ローマ帝国や過去の王朝であるアケメネス朝、パルティアなどの文化的影響を受け、イスラム時代にも影響を与えたもの。 ここではファールス地方のサーサーン朝考古景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サーサーン朝考古景観について詳しくなること間違なし!

ヒルカニアの森林群/2019年登録(アゼルバイジャンと共同)

ヒルカニアの森林群/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

世界遺産としては、カスピ海の南岸に沿って延びる約850kmもの森林地帯が登録されていて、西はコーカサス地方、東はゴレスターン州半砂漠地帯まで3つの州にまたがり、15箇所のエリアで構成されています。

ここはイランの国土の7%でしかないにもかかわらず、国内の維管束植物の44%がここで生息。森には180種の鳥類と公園のシンボル的存在のペルシャヒョウを含む58種の哺乳類が見られます。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イラン・アゼルバイジャンの世界遺産「ヒルカニアの森林群」とは?世界遺産マニアが解説 カスピ海の南岸には貴重な樹木類を保護する森林地帯や山塊が広がっています。これらの広葉樹林は、2500万年前から5000万年前に遡り、氷河期によって後退し、再び拡大したエリア。イラン側は国土の7%でしかないにもかかわらず、イラン国内の維管束植物の44%がここで生息。森には180種の鳥類と公園のシンボル的存在のペルシャヒョウを含む58種の哺乳類が見られます。 ここではヒルカニアの森林群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヒルカニアの森林群について詳しくなること間違なし!

イラン縦貫鉄道/2021年登録

イラン縦貫鉄道/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

イラン縦貫鉄道は縦断鉄道とも呼ばれ、イラン北部のカスピ海にあるバンダル・トルカマンと南西部にあるペルシャ湾のバンダレ・エマーム・ホメイニーまで接続するという広大な鉄道路線です。

ここは標高の高い山脈や高原、森林、平野など、さまざまな地形を通る路線で、中には螺旋状のトンネルやループ橋など、外国企業によって建造されたものもあり、路線は今でも現役で使用されています。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「イラン縦貫鉄道」とは?世界遺産マニアが解説 イラン縦貫鉄道はとは、イラン北部のカスピ海と南西部のペルシャ湾までを結ぶという約1394kmの鉄道路線。ここは標高の高い山脈や高原、森林、平野など、さまざまな地形を通る路線で、中には螺旋状のトンネルやループ橋など、国際的な建築会社によって建造され、路線は今でも現役で使用されています。 ここではイラン縦貫鉄道がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、イラン縦貫鉄道について詳しくなること間違なし!

フーラーマーン/ウラマナトの文化的景観/2021年登録

フーラーマーン/ウラマナトの文化的景観/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

フーラーマーン/ウラマナトは、イラン西部を南北に貫くザグロス山脈沿いにある、クルディスタン州とケルマーンシャー州をまたがるエリアを指します。紀元前3000年頃からこの地域に住んでいたクルド系の農牧民・ハワラミ族が暮らしている地。

ここは何千年にも渡って、段々状の傾斜地に家や農地など、さまざまな施設が並ぶ独特の景観が残っています。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「フーラーマーン/ウラマナトの文化的景観」とは?世界遺産マニアが解説 イラン西部のザグロス山脈には、紀元前3000年頃からこの地域に住んでいたクルド系の農牧民・ハワラミ族が住んでいる場所。ここには何千年にも渡って、段々状の傾斜地に家々農地などが並び、さまざまな施設を築いてきました。 ここではフーラーマーン/ウラマナトの文化的景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、フーラーマーン/ウラマナトについて詳しくなること間違なし!

ペルシアのキャラバンサライ/2023年登録

ペルシアのキャラバンサライ/イランの世界遺産
画像素材:shutterstock

ペルシアはイランを示す言葉で、キャラバンサライは、キャラバン(隊商)+サライ(宿)という意味で、かつてシルクロードや巡礼路などのルート上に築かれた「隊商宿」のこと。イランには、数百ものキャラバンサライが残されていて、25のキャラバンサライが登録されています。

キャラバンサライは、それぞれ建築様式が異なり芸術的価値が高いものである一方、東西の文明の文化や科学、芸術、宗教などを結ぶという役割もあったのです。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イランの世界遺産「ペルシアのキャラバンサライ」とは?世界遺産マニアが解説 東西の文明を結ぶ地に位置するイランでは、シルクロードや王の道など、古くから交易路が多く置かれ、街道沿いには「隊商宿」という意味のキャラバンサライという建造物が多く存在しました。現代でも数百もの宿が残っていて、それぞれ建築様式が異なり芸術的価値が高いものである一方、東西の文明の文化や科学、芸術、宗教などを結ぶという役割もあったのです。 ここではペルシアのキャラバンサライがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ペルシアのキャラバンサライについて詳しくなること間違なし!

世界遺産マニアの結論と感想

イランの世界遺産は文化遺産が25件、自然遺産が2件と、文明の交差路だけに文化遺産がたくさん!実は中東でも最も世界遺産が多い国で、遺跡だけでなく、バザールや鉄道路線など意外な遺産も登録されてるので、ぜひディープに楽しんでみてくださいね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

目次