山口県の世界遺産「恵美須ヶ鼻造船所跡」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年2015年

恵美須ヶ鼻造船所跡(えびすがはなぞうせんじょあと)は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成遺産の一つ。造船所では、伝統的な日本の技法と西欧の技術が施された船が建造されていました。ところで、恵美須ヶ鼻造船所跡はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは恵美須ヶ鼻造船所跡なぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、恵美須ヶ鼻造船所跡について詳しくなること間違いなし!

目次

恵美須ヶ鼻造船所跡とは?

恵美須ヶ鼻造船所跡
画像素材:shutterstock

山口県萩市にある造船所跡。1853年に幕府によって大型軍艦の製造を禁じていた「大船建造禁止令」が撤回されたことから、長州藩にも大船の建造を要請され、桂小五郎(後の木戸孝允)などが意見を提出し、1854年に洋式軍艦を建造することを決定しました。1856年には軍艦製造所が建造され、ここでは伝統的なたたら製法によって築かれた、ロシア式(君沢形)であり、萩藩最初の洋式軍艦である丙辰丸が完成しました。1860年にはオランダ式(バーク型)の庚申丸も建造。

同じ造船所でそれぞれ異なる異国の造船技術が共存するという珍しい造船所で、ここで築かれた船は西洋の技術と日本の伝統技術が融合したものでした。しかし、その後は蒸気船が主流となったため、造船は行われず、ここは閉鎖されたものとされています。

恵美須ヶ鼻造船所跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

恵美須ヶ鼻造船所跡が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
明治日本の産業革命遺産は、江戸時代から続く封建社会であった日本が19世紀半から西欧の技術によって20世紀初頭まで短期間で世界有数の工業国となり、そのノウハウや技術など、東アジアの工業化において影響を与えたという証拠である点。

登録基準(iv)
日本各地に残る鉄鋼、造船、石炭の産業拠点は、世界の歴史において、西欧諸国以外で初めて近代化に成功し、西欧技術の採用により、地元の技術革新と合わせて日本独自の工業化を反映した産業遺産であったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

恵美須ヶ鼻造船所跡は、日本の伝統技法と西洋式の造船技術が合わさった船が建造された地で、現代は遺構だけですが、当時の様子を伝えているという点で評価されています。

ちなみに、桂小五郎は江戸遊学時代は剣豪として名を馳せていたものの、ペリーが浦賀に到着すると、その脅威にあまりにも驚き、世界遺産にも登録された韮山反射炉を建造した江川英龍に兵学・砲術を学んだほど。それもあり、故郷の長州が軍船を作ると聞いて意見書を届け、それがきっかけの一つとなって造船へと繋がったのです。そこから後に彼自身が倒幕するという道へと繋がるのだから、不思議な話ですよね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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