フランスの世界遺産「ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(4)
登録年1983年

フランス北東部に位置するロレーヌ地方のナンシーは、フランス王ルイ15世の義父であるローレヌ公スタニスラス・レシチニスキーの命によって18世紀に整備され、彼によって3つの広場が築かれました。特にスタニスラス広場は宮廷建築家エマニュエル・エレによって設計された、バロック様式の市庁舎、凱旋門、劇場が並ぶという美しい広場です。

ここではナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ナンシーの3つの広場について詳しくなること間違いなし!

目次

ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場とは?

ナンシーのスタニスラス広場
画像素材:shutterstock

フランス北東部に位置するロレーヌ地方はドイツ国境の近くに位置し、ナンシーはこの地方の中心都市で、ロレーヌ公国(959〜1766年)の首都でもありました。もともとポーランド王であり、フランス王ルイ15世の義父であるローレヌ公スタニスラス・レシチニスキーが、1737〜1766年までこの地の治めるようになると、都市の整備を行います。

その際に彼によって1752〜1756年に設立されたのが、北側の旧市街と南側の新市街を結ぶように位置する、バロック様式のロレーヌ公の宮殿などがあるカリエール広場、スタニスラス広場、バロック様式の噴水があるアリアンス広場。これは近代的な都市計画によって設計されたもので、凱旋門や彫像、噴水を備えた権威あるバロック様式の建造物が並び、庶民が公共施設へと容易にアクセスできるという構造になっているのが特徴です。

スタニスラス広場

ナンシーのスタニスラス広場
画像素材:shutterstock

1756年に完成した広場で、これも宮廷建築家エマニュエル・エレによって設計されました。ここはバロック様式の市庁舎や裁判時、凱旋門、劇場などで囲まれていて、当時は国王広場と呼ばれた広場。しかし、フランス革命によって中央にあった国王の像が破壊され、今度は1831年にスタニスラスの像が置かれ、スタニスラス広場と呼ばれるようになりました。

ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ナンシーのアリアンス広場
画像素材:shutterstock

ナンシーの3つの広場が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
ナンシーの3つの広場は、独特な芸術作品が並ぶという人類の創造的才能を示す傑作であるという点。

登録基準(iv)
ナンシーの3つの広場は、啓蒙君主が公共の建築物と空間を作り出した近代的な都市計画であり、住民のために設計された都市計画の中でも最も古く、特徴的であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場は、ポーランドを追われたスタニスラス・レシチニスキーが行った慈善活動的な都市計画の一つではあったものの、啓蒙君主が住民のために用意した施設として評価されています。

ちなみに、ナンシーというガラス工芸家のエミール・ガレの出身地として有名ですね。15世紀からガラス工芸が盛んなガラスの都でもあります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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