登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (3),(4) |
登録年 | 2019年 |
野中古墳(のなかこふん)は「百舌鳥・古市古墳群-古代日本の墳墓群-」の構成遺産の一つ。古市古墳群の中でも中央部分に位置する前方後円墳・墓山古墳(はかやまこふん)の陪冢とされているもの。ところで、野中古墳はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは野中古墳がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、野中古墳について詳しくなること間違なし!
野中古墳とは?
藤井寺市野中にあり、まるで丘のようですが、これは一辺が37m、高さは4mと古市古墳群の中でも小規模な方墳。墳丘は二段構成となっていて、くびれ部分に造り出し(古墳に併設する壇状の施設)も見られます。周囲は濠で囲まれ、ここからは円筒埴輪や形象埴輪などが発掘されていて、古墳は5世紀前半から中頃に建造されたと考えられるもの。
頂上からは土器類である土師器(はじき)や須恵器(すえき)が大量に発見され、地下には木管があり、発掘調査によると、剣や鉄のやじり、鎧、兜などの武器類や農具、工具といった副葬品が多く、特に鉄製の武具が多かったことから、被葬者は軍事的な仕事を担当していたと考えられています。
野中古墳はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
野中古墳が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
百舌鳥・古市古墳群は、日本全国にある16万もの古墳の中でも、古墳時代を代表するもので、この時代の社会構造や階級、高度な葬送文化を示すものであるという点。
登録基準(iv)
百舌鳥・古市古墳群は、古代の東アジアにおいても優れた陵墓で、埴輪や葺石(ふきいし)で覆われた墳丘は階層社会の確立を示しているということ。
世界遺産マニアの結論と感想
野中古墳は小さな古墳ではありますが、非常に多くの鉄の武具が発見されたことから、古墳が築かれた時代の日本の社会や葬送の文化がよく分かるという点で評価されています。
ちなみに、被災者像についてはさまざまな議論がありますが、古墳を発掘した大阪大学考古学研究室では、軍事組織を管理した人物や親衛隊である説の他に、実は被葬者のスペースがなく、被葬者そのものは存在していなかった説も考えられていて、そもそもここを「古墳」と考えていいのか…という視点で考えるとより興味深くなりますね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。