ミャンマーの世界遺産「ピュー古代都市群」とは?世界遺産マニアが解説

  • URLをコピーしました!
登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (4)
登録年2014年

ミャンマーを南北を流れるエーヤワディー川沿いに位置するハリン、ベイッタノ、シュリ・クシェートラの3つの都市は紀元前200年〜紀元900年に渡って繁栄したピュー族の王国の都市遺跡。各都市には城塞や墓地、仏塔などが見られ、特に農業に使用されていた水利システムは現在でも利用されているほどに優れたもの。

ここではピュー古代都市群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ピュー古代都市群について詳しくなること間違いなし!

目次

ピュー古代都市群とは?

ピュー古代都市群
画像素材:shutterstock

ピューとは、かつてミャンマーのエーヤワディー川沿いに住んでいた民族集団のこと。彼らは紀元前2世紀から紀元9世紀にかけて城壁や堀で囲まれた都市を築き、世界遺産としてはハリン、ベイッタノ、シュリ・クシェートラの3つの都市が登録。これらは紀元前2世紀にインドの文化が東南アジアにもたらされ、彼らが築いた都市は文学や建築、宗教などにも仏教が伝来したことを示し、その後の東南アジアの各都市に大きな影響を与えたもの。

ピューの都市は、城壁や堀で囲まれているのが特徴で、内側にはレンガ造りのストゥーパ(仏塔)や埋葬地などが今でも残っています。この地は乾燥地であったために人々は灌漑を利用した水管理システムによって米などの作物を栽培していました。これらは現在でも利用されています。

ピュー古代都市群
画像素材:shutterstock

各都市間には交流があり、現在のタイ北部に存在していたドヴァーラヴァティー王国にまで交流があったとされますが、7世紀には現在の中国・雲南省に存在したチベット・ビルマ語族の南詔から攻撃を受け、9世紀には滅ぼされたとされています。その後、台頭するパガン王朝を築いたビルマ族へと彼らの文化が引き継がれていったため、ピュー族の都市がパガンの原型になったとされる説も。

ピュー古代都市群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ピュー古代都市群
画像素材:shutterstock

ピュー古代都市群が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
ピュー古代都市群は仏塔などが見られ、これは紀元前2世紀からインドから文化がもたらされたことを示す、東南アジアでも最初期の仏教都市であり、支配者から農民まで社会のすべての階層に仏教が受け入れていたということを示すもの。これらは東南アジア全域へ仏教の教えを広めていくきっかけになったということ。

登録基準(iii)
ピュー古代都市群では、木造建築からレンガ造りの仏塔などの移行が見られ、火葬された遺骨を骨壷に入れ、保管するなど独自の葬送文化があり、東南アジアでも最初期の仏教都市文明を示しています。そして、ピューの各都市の交易ネットワークを通じてインドから東南アジアへと仏教が伝導されていったということを示すという点。

登録基準(iv)
ピュー古代都市群は、資源の保存法や農業用の灌漑システム、レンガと鉄の製造技術など、都市計画に繋がる技術革新が東南アジアで最も早く見られたもので、巨大な門を持つ城塞都市の様式を造り出したということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ピュー族の古代都市は、インドから東南アジアに文化が伝えられた東南アジアでも最初期の仏教都市で、農業や建築においても高い技術が見られる城塞都市の典型。これらの都市間の交易ネットワークから東南アジア全域に仏教や都市建築が伝わっていったという点で評価されています。

ちなみに、現在のミャンマーには「ナッ信仰」という土着の民間信仰が残るのですが、これは既にピュー族時代からあったとか。ナッは守護霊みたいなもので、お供え物をしないと厄災をもたらすということもあり、ナッの像や祠にお供え物がされることもありますが、なぜか人間と同じように扱われ、ナッは男性よりも身分が低く、女性よりも高いため、お供えをするのは基本的に女性。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

目次