登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4) |
登録年 | 1996年 |
メキシコ中央高原にあるケレタロは、16世紀に建造された都市で、スペイン人と先住民が共存して暮らしていたことで有名です。その証拠に17〜18世紀に建造された建築物は、バロック様式ながら先住民の風習も取り入れた「ケレタロ風バロック」として評価が高いもの。
ここではケレタロの歴史史跡地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ケレタロの歴史史跡地区について詳しくなること間違いなし!
ケレタロの歴史史跡地区とは?
メキシコシティから北西へ約210kmほどの距離にあるケレタロは、ケレタロ州の州都。この街が設立されたのは16世紀で、スペイン人のエルナン・ペレス・ボカネグラ・イ・コルドバと、先住民であるオトミ族のリーダーであったコニンと同盟を組んだことが街の起源になっています。スペイン人住民は現在の歴史史跡地区に住むようになり、先住民たちは丘の上と周辺に住むようになりました。
これにより、この都市はスペイン人によって先住民との共存が図られ、特に17〜18世紀に建造された教会などは先住民たちの風習を取り入れ、「ケレタロ流バロック」として評価されています。世界遺産に登録されているのは市内中心部の4平方kmの範囲で、20の宗教施設と15の公共施設で構成。
その後、タバコと織物の産地として発展し、19世紀になるとケレタロを首都にする案も出てきたほどに大都市に成長。
サンタ・クララ教会堂
17世紀建造の教会堂で、バロック様式の建造物。内部にある黄金の祭壇には、心臓を神に捧げるという、先住民の風習も見られ、「ケレタロ流バロック」の建築物の一つでもあります。
ケレタロの歴史史跡地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ケレタロの歴史史跡地区が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ケレタロの歴史史跡地区は、一つの都市にさまざまな民族との共存を反映した景観と都市計画が見られるという点。
登録基準(iv)
歴史史跡地区は、17〜18世紀のスペインの植民地時代の町並みではあるものの、各民族の風習なども取り入れられているということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ケレタロは植民都市としては珍しく、先住民と共存しながら発展した都市で、スペインのバロック様式の建造物であるものの、先住民の文化も各所で見られるという点で評価されています。
ちなみに、ケレタロの正式名称は「サンティアゴ・デ・ケレタロ」。これは街の設立前に原住民と戦っていたスペイン人が、戦闘中に皆既日食が発生し、それが十字架をつけた馬に乗る、スペインの守護聖人である聖ヤコブに見えたことから、ここをサンティアゴ(=聖ヤコブ)・デ・ケレタロと呼ぶようになったとされます。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。