登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 1978年 |
エクアドルの首都キトは赤道に近く、標高2850mにある高原都市。16世紀にインカ帝国時代にあった都市が廃墟になった後、サン・フランシスコ聖堂・修道院など、宗教建築が多く建設され、現在は「アメリカの修道院」と呼ばれるほどに。ルネサンス様式、バロック様式、ムデハル様式(スペインのイスラム風建築様式)など、さまざまな建築様式が見られ、地震で被害に遭ったにもかかわらず、保存状態は極めて良好です。
ここでは、キトの市街がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、キトについて詳しくなること間違いなし!
キトの市街とは?

キトはエクアドルのピチンチャ火山の中腹、2850mの高地に位置する都市。もともとキトは先住民のキトス族が築いた街が起源。
15世紀末になるとインカ帝国の支配を受け、帝国の第2の都市になったのですが、16世紀にスペイン人のコンキスタドール(征服者)の侵略の際に、住民自ら都市を破壊、街は廃墟になりました。そして、この地を占領したスペイン人は廃墟の上に街を設立。16〜18世紀に築かれた教会や修道院が残るキトの旧市街は、アメリカ大陸の中でも保存状態のよい旧市街として知られます。
スペイン人は、修道院と学校を設立し、そこで先住民に神学と建築を教えました。ここで学んだ生徒たちは「キト派」という芸術集団となり、彼らは宗教建築を設計するだけでなく、祭壇画や絵画、彫刻などをも担当するほどに。斜面に設立された都市は、広場を中心に碁盤のように道路が作られ、修道院や教会などが中央に集められています。スペインの植民地だった時代の名残が残るキトは、都市開発が進んでも旧市街が残るように維持してきました。
登録されている主な構成資産
サン・フランシスコ聖堂・修道院



1535年に建設された、南米最古の修道院。神学と美術の学校も付属しており、ここで先住民を教育していきました。その生徒たちはやがて「キト派」と呼ばれるようになり、建築や芸術の面で活躍します。
大聖堂



街の中心にある独立広場に面した大聖堂。1572年に建造されたものの、大地震のたびに修復されました。主祭壇には先住民の芸術家・カスピカラの彫刻が飾られています。
ラ・コンパーニア聖堂



イエズス会の聖堂で1605年に着工。イタリアのバロック様式とスペインのバロック様式が混じりあい、エクアドルのバロック建築中でも最高傑作と呼ばれます。主祭壇は、7kgもの金箔が使用され、豪華絢爛。
キトの市街はどんな理由で世界遺産に登録されているの?



キトが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
キト派の影響は、建築だけでなく、彫刻や絵画などの芸術面でも周辺都市に影響を与えているという点。
登録基準(iv)
大地震が度々発生するキトは、自然と人間の行動に基づいてユニークな建築物を生み出したということ。
世界遺産マニアの結論と感想
インカ帝国から都市として機能していたキトは、スペインの植民地時代には、地震を何度も経験しながらもユニークな修道院や教会などが多く作られました。そして、キトの工芸学校からは芸術家グループが作られ、その建築技術や芸術手法などが、周辺にも影響を及ぼしたということが評価に繋がっています。
ちなみに、キトは赤道直下にあるのにもかかわらず、標高が高く、一年を通じてとても過ごしやすいということで、古来から人が住んでいました。しかし、人口は首都であるのに約200万人しか住んでおらず、国内でも都市人口は2番目。最も人口が多いのはエクアドル南部の港湾都市グアヤキルです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。