インドの世界遺産「赤い城(レッド・フォート)の建造物群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(3),(6)
登録年2007年

インドの首都デリーにある赤い城は、ムガル帝国5代目皇帝であるシャー・ジャハーンによって17世紀に建造された城。赤い砂岩を使用したことから「赤い城(レッド・フォート)」と呼ばれ、城内にある建築物はイスラムの建築様式を基本としつつも、ペルシャやヒンドゥー教の影響なども見られます。

ここでは、赤い城(レッド・フォート)の建造物群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、赤い城について詳しくなること間違なし!

目次

赤い城(レッド・フォート)の建造物群とは?

画像素材:shutterstock

インドの首都デリーの中心部に位置する広大な城で、ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、アーグラから遷都した際に居城としたもの。城は1639〜1648年にかけて建造され、赤い砂岩を使用したことから「赤い城(レッド・フォート)」と呼ばれます。ヒンディー語やウルドゥー語では、「ラール・キラー」とも。

赤い砂岩の城壁で囲まれていますが、内壁にはイスラム王朝であったムガル帝国らしく、コーランに描かれた楽園を実現した宮殿と庭園が点在します。シャー・ジャハーンは、ペルシャやヒンドゥー教、そして、ムガル帝国のルーツでもある中央アジアのティムール朝の建築物の影響が見られる別館なども建造。そして、西側にある正門ラホール門の近くには、チャッタ・チョウクと呼ばれえるエリアがあり、ここは宮殿に住む女性たちのショッピングアーケードで、現在はお土産通りになっています。

画像素材:shutterstock

その後、ムガル帝国が衰退へと向かうと、赤い城は略奪に遭い、イギリスが支配するようになると、軍隊の駐屯地として使用されました。1947年にインドの初代首相であるジャワハルラール・ネルーがラホール門で国旗を掲げたため、毎年インドの独立記念日である8月15日は今でも首相がここでスピーチを行います。

サリームガル城

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1546年にイスラム王朝であったスール朝の君主イスラーム・シャーに建造された城塞。その後、ムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブは、ここを刑務所として使用したことも。現在は城壁のみ残り、これも世界遺産の登録範囲に加えられています。

赤い城(レッド・フォート)の建造物群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

赤い城が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
イスラム教、ペルシャ、ティムール朝、ヒンドゥー教など、さまざまな文化が融合した赤い城は、ムガル帝国の建築様式のモデルとなったということ。

登録基準(iii)
赤い城の革新的な建築様式は、インド各地の建築や造園様式に影響を与え、駐屯地として英国軍が駐在すると、城壁などを利用し、要塞としての機能が付け加られたという点。

登録基準(vi)
赤い城は、ムガル帝国の権力の中枢であり、イギリスの支配の象徴でもありました。そして、インドの独立宣言がラホール門からされたことから、インドのアイデンティティ的存在でもあるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

赤い城は、シャー・ジャハーンのムガル帝国支配の名残が見え、イスラム建築をベースとしながらも、さまざまな文化を取り入れ、その建築様式はムガル帝国建築のモデルとなったという点で評価。そして、近代インド史においても重要な場所であるという点もポイント。

ちなみに、デリー以前の首都であったアーグラの「アーグラ要塞」も「赤い城」と呼ばれるのですが、通常はデリーの城のほうを示します。その理由はよく分かっていませんが、首都もデリーに移ったので現役が長かったというのが理由でもあると思われます。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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