登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 2004年 |
高野山(金剛峯寺)は「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成遺産の一つ。ここは空海が開いた真言宗の総本山であり、古くから霊場として栄え、歴史的有名人の墓もあることでも有名。ところで、高野山はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは高野山がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、高野山について詳しくなること間違なし!
高野山(金剛峯寺)とは?
一般的に「高野山」とはどのエリアを指す?

実は「高野山」という名称の山はなく、和歌山県の高野町にある山に囲まれた盆地が地名として「高野山」と呼ばれています。ここは真言宗の総本山であり、正式名称は「高野山金剛峯寺」。よって、今も昔も「高野山」と呼ばれる地域は、一般的には金剛峯寺の境内とされています。
高野山は標高800mの盆地に100箇所以上の寺院があるという宗教都市でもあり、八葉の蓮華の花弁のように山に囲まれているために「八葉の峰(はちようのほう)」と呼ばれます。ここは弘法大師・空海が816年に高野山を天皇から賜ると、結界を張って伽藍を建立。835年に入定(永遠の瞑想に入るという信仰)すると、彼の弟子たちによって伽藍は整備されていきました。
その後、鎌倉時代から江戸時代まで、時の権力者とも良好な関係を築きつつ、真言密教の霊場として、その地位は保たれていきました。高野山一帯が金剛峯寺の敷地であり、寺号でもありましたが、明治になると「金剛峯寺」は総本山寺院のみを示すものに変更されてしまいます。
高野山は4つの地区で構成される

高野山は大きく分けると、壇上伽藍(伽藍地区)、総本山金剛峯寺(本坊)、奥之院(墓域)、高野十谷(子院・塔頭地区)の4つで構成されています。特に「壇上伽藍」は空海が初めて着手した場所で、ここは中門、講堂(金堂)、僧帽、多宝塔など、空海によって密教理論に基づいた伽藍配置となっていて、これは全国の真言寺院のモデルとなりました。
その中でも修行の中心地である根本大塔は、高野山のシンボル的存在。塔内は、大日如来像の周りに四仏(しぶつ)、さらに16本の柱に十六菩薩などで囲まれた曼荼羅(まんだら)のように構成されるもの。奥之院は、この世とあの世の境目と考えられいて、橋を渡ると空海が入定したとされる「弘法大師御廟」があり、現在でも聖地となっています。
高野山(金剛峯寺)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

高野山(金剛峯寺)が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
紀伊山地に残る霊場と参詣道は、神道と仏教が融合が見られ、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を示すということ。
登録基準(iii)
紀伊山地に点在する神社や寺院は、この地の慣習を含めて、1000年以上に渡る日本独自の宗教の発展を示すものであるという点。
登録基準(iv)
紀伊山地は、日本各地の寺社の建築様式に大きな影響を与え、それらの形成のルーツともなっているという点。
登録基準(vi)
紀伊山地の霊場と森林には、1200年に渡って神の宿る地として信仰が維持され、それらが景観に見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
高野山は真言宗の総本山だけあって、山に囲まれた盆地に多くの仏教建築が多く残り、真言宗の寺院の建築モデルとなったという点で評価されています。ここは大陸から伝わった仏教が独自に解釈され、それが霊場として現在まで維持されてきたというのがポイント。
ちなみに、高野山は伝説的なエピソードを多く持つ空海に関連した不思議な出来事が多く残り、ハブがいないとか、肉食が好きな人が山に入ると雨が降るとか、さまざまな言い伝えがあります。最も有名なのは、奥の院にある「姿見の井戸」で、井戸を覗き込んで自分の姿が写らないと三年以内に死亡するとか…実際に調査したことはないので、本当かどうかはわかりませんが。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。