登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3),(6) |
登録年 | 1981年(2007年拡大) |
フランス南部の小さな町オランジェは、古代ローマ時代から存在し、町には1世紀に初代ローマ皇帝アウグストゥスが建造したローマ劇場が今でも現存。さらに町の北部に残る凱旋門のレリーフには当時この地に暮らしていたガリア人が鎖で繋がられたデザインもあり、ローマ帝国によってこの地が征服されたことを記念するレリーフでもあります。
ここではオランジュのローマ劇場とその周辺及び「凱旋門」がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、オランジュについて詳しくなること間違いなし!
オランジュのローマ劇場とその周辺及び「凱旋門」とは?
フランス南東部プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏にあるオランジュは人口3万人の小さな町。ここはケルト人の中でもガリア(現在のフランス、ベルギー、オランダ、スイス、ドイツの一部)に住んでいたガリア人が暮らす地でしたが、紀元前1世紀にローマの軍人カエサルによって征服。ローマ風の都市計画で設立され、当時の遺構は現在でも見られます。
ローマ劇場
町の南部に広がるローマ劇場は、1世紀に初代皇帝アウグストゥスが建造したもの。高さ37mものファサードを持ち、古代ローマで現存するローマ劇場の中でも保存状態の良いものの一つ。舞台の幅は100mを越えるものの、当時の装飾はほとんど残っていませんでしたが、ファサードの壁龕にはもともとアウグストゥスの像があり、1951年にはアウグストゥスの像が発見され、当時置かれていたと思われる場所に現在は立っています。
ここは391年のミラノ勅令により閉鎖した後は放棄されました。1825年から修復作業が行われ、現在の姿になり、今でもオペラやコンサートなどが開かれます。
凱旋門
これもアウグストゥスによるもので、西暦10〜25年にかけて町の北部に建造。特に北側のレリーフの保存状態が良く、門には武装したローマの騎兵と鎖で繋がられたガリア人などが刻まれています。ここは13世紀に要塞となり、18〜19世紀にかけて修復されました。凱旋門はローマの繁栄を示すものとして貴重な記念碑でもあります。
オランジュのローマ劇場とその周辺及び「凱旋門」はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
オランジュが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
アウグストゥスの時代に建造されたローマ劇場は、帝国内で築かれた劇場の中でも優れたものの一つであるということ。
登録基準(vi)
凱旋門の北面に刻まれたレリーフは、当時のガリア人の戦いとローマの植民都市の設立を物語るという点で重要な資料でもあるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
オランジェに残る劇場は、かつてのローマ帝国内でもトップクラスの保存状態を誇り、優れたデザインであり、凱旋門のレリーフは当時のローマ帝国の辺境の状態と植民の歴史が分かるものであるという点で評価されています。
ちなみに、オランジェは英語で「オレンジ」を意味するものではありますが、もともとはケルト人の集落「アウラシオ」がルーツ。それが訛って「オランジェ」になっていき、そして、12世紀に果物のオレンジと結びついたもの。しかし、実はオレンジがヨーロッパへしたのは7世紀ころなので、途中で混在していったため、決してオレンジがルーツではないのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。