タンザニアの世界遺産「キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(3)
登録年1981年

タンザニア南東部の海岸沿いに浮かぶキルワ島とソンゴ・ムナラ島には、イスラムの都市国家時代の遺跡が残っています。13〜16世紀にかけて、キルワ・キシワニは金、銀、真珠、陶器などの交易で大いに繁栄し、モロッコの旅行家イブン・バットゥータも記録するほど。それぞれの島にはモスク、宮殿、要塞などの遺構が残り、これらはアラブや中国の建築様式も見られます。

ここではキルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラについて詳しくなること間違いなし!

目次

キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群とは?

画像素材:shutterstock

首都ダルエスサラームから南へ約300km。海岸の近くには2つの島が浮かび、そこにはキルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの2つのイスラム都市国家の遺跡が残っています。ここはアラビア半島とインド、中国との交易で繁栄した地。

キルワ・キシワニは、9世紀から都市が発展し、13〜16世紀に大いに繁栄しました。ここでは金、銀、象牙などの取引がされていましたが、他にもペルシャの彩釉陶器や中国の陶磁器まで交換されるほど。14世紀にモロッコの旅行家イブン・バットゥータがこの地を訪れ、称賛しています。しかし、16世紀にポルトガル人が島を支配するようになると、その後支配者が何度か変わっていき、徐々に衰退しました。19世紀にはここは放棄されています。

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キルワ・キシワニは島全体が遺跡で覆われていますが、まだ大部分は発掘されていません。建築物はサンゴ石やモルタル石灰などで建造されています。10世紀に設立されたとされる「大モスク」は13世紀の改修時に屋根はドームで覆われ、これは10世紀まで東アフリカでも最大のドーム建築でした。壁の一部は中国の陶磁器で装飾されているというのも特徴。14世紀に建造された「フスニ・クブワ宮殿」は、大きなプールがあったことが分かっていて、他にも多数のモスクや刑務所、邸宅、広場、墓地などが点在しています。

ソンゴ・ムナラは5つのモスクと宮殿、サンゴと木材で建造された邸宅などが残っているものの、その歴史とキルワ・キシワニとの関係は分かっていません。

危機遺産(危機にさらされている世界遺産)

ここは熱帯気候に位置するため、建造物の損傷が激しく、対策も不十分だったため、2004年に危機遺産に登録。しかし、2014年にはリストから外されています。

キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラが評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラに残る考古学遺跡は、9〜19世紀にかけて東アフリカの沿岸でスワヒリ語の人々による文化と商業が発展したことを示し、東アフリカの経済・社会・政治活動の跡が見られるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡は、まだまだ未発掘の部分も多く、分からないこともありますが、ここは9〜19世紀にかけてスワヒリ語圏の人々によって、通商で繁栄した文明の存在を示しているという点で評価されています。

ちなみに、この地に存在していたキルワ王国は、「シラジ」とも呼ばれていました。王国の歴史書によると、この王国はイラン南部のシーラーズからやってきたスルタンと6人の王子がルーツだそうで「シラジ=シーラーズ」と考える説も。実際ここの支配者階級はアラブ人だったそう。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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