登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(4) |
登録年 | 2023年 |
インド南西部にあるマイソール地方は、11〜14世紀に繁栄したヒンドゥー教のホイサラ朝が支配していた地。ここは文化が興隆し、北インドと南インドの建築様式が融合したホイサラ様式の寺院などが建築されました。現在は廃墟となりましたが、遺構からは当時の文化や科学技術の高さが分かるという点で評価されています。
ここではホイサラ朝の宗教建造物群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ホイサラ朝の宗教建造物群について詳しくなること間違いなし!
ホイサラ朝の宗教建造物群とは?
ホイサラ朝は11世紀から14世紀後半に、現在のインド南西部に位置するカルナーカ州のマイソール地方を中心に存在したヒンドゥー王朝。ホイサラの王たちはヒンドゥー教のシヴァ派とヴィシュヌ派の両派を支持し、ジャイナ教徒にも寛容であり、それぞれの宗教建築物が多く建造されました。特にヒンドゥー教の寺院は国内で1500以上も築かれ、現在は100ほど残っています。
特にホイサラ朝の寺院に共通するのは、ホイサラ様式という独特の建築様式。これは星型の平面図に、複雑な彫刻が見られる石造りの建造物が多く、北インドのナガラ様式と南インドのドラヴィダ様式が組み合わされたもの。中央には3つの聖堂が一組になり、張り出し部分はジグザグ状になっていて、外壁には神々や戦争、音楽、狩猟、衣服、宝石、人々の日常など、神話の場面が描かれています。
ベールールの宗教建造物群
カルナーカ州の南部にあるホイサラ朝初期の首都であった場所。城壁に囲まれた街の中心には、1117年に建造が始まり、完成まで103年かかったという「チェンナケーシャヴァ寺院」があります。ここはヴィシュヌ神を祀っていて、外壁には日常生活や音楽、ダンスだけでなく、ヴィシュヌ神の生涯と転生などの場面も描かれていて、現代もヴィシュヌ派の巡礼地となっているのが特徴。
ドーラサムドラ(現ハレービードゥ)の宗教建造物群
ベールールからは東へ約17kmの距離にあるドーラサムドラは、帝国最盛期に3世紀に渡って首都とされ、ベルールよりも大規模な都市だったとされています。しかし、14世紀には滅ぼされたため、寺院や宮殿はすべて破壊。現在は遺構だけが残っています。
その中でも「ホイサレシューヴァラ寺院」はホイサラ朝においてもモデル的寺院で、1121年にシヴァ神に捧げられた南インドでも最も美しい寺院とされています。外壁にそって240以上のレリーフがあることでもよく知られるもの。
ホイサラ朝の宗教建造物群はどんな理由で世界遺産に登録されている?
ホイサラ朝の宗教建造物群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
登録基準(iii)
登録基準(vi)
ホイサラ様式は、近隣の国とは異なり、当時の寺院と過去の寺院の建築特徴を合わせることによって確立されたもの。寺院は、表面全体を覆う幻想的な彫刻と、周囲は儀式的なもの、大彫刻のギャラリー、多層のレリーフなどが続き、優れた彫刻芸術となっていて、ヒンドゥー教寺の院建築の歴史的発展における重要な段階を示しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ホイサラ朝の宗教建造物群は、ヒンドゥー教の二大勢力であるヴィシュヌ派とシヴァ派、北インドと南インドの建築様式がそれぞれ組み合わさり、外壁からは神話を含めた当時の宗教観や宇宙観が分かるという点で評価されています。
ちなみに、よくインド南部というと「インドのシリコンバレー」という情報産業が盛んなイメージがありますが、これこそがカルナーカ州の州都のベンガルールで、アウトソーシングも盛んなために現在はインドでも第3の人口を誇る都市として成長しています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。