福岡県の世界文化遺産「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」とは?世界遺産マニアが簡単に解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3)
登録年2017年

福岡県の玄界灘に浮かぶ沖ノ島。ここは宗像大社の境内である、女人禁制の伝統が続けられている島としで有名ですが、世界文化遺産にも登録されていることでも有名ですね。ところで、沖ノ島はなぜ世界遺産に登録されているのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、沖ノ島と周辺の遺産について詳しくなること間違いなし!

目次

世界遺産・「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群とは?なぜ評価されたのかを簡単に解説!

沖津宮/「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
画像素材:Indiana jo(Wikimedeia Commmons)

福岡県の本土から北西へ約60kmの距離に位置する沖ノ島。ここは現在は無人島でありますが、4世紀から9世紀まで海の航海の安全を祈る祭祀が行われてきた場所です。ここから出土された品々は日本列島ではなく、朝鮮半島や中国などと交易した証拠でもあり、約8万点の奉納品はすべて国宝や重要文化財に登録。このことから、ここは「海の正倉院」と呼ばれています。

もともとヤマト王権が3世紀に日本列島で誕生すると、朝鮮半島にあった国家・百済と積極的に関係を持つようになり、中国大陸の王朝から優れた文化や技術などを入手してきました。ヤマト王権は、朝鮮半島への航海術を持ち、当時の玄界灘全域を支配されていたとされる豪族・宗像氏との協力を得るために、宗像氏が崇拝する沖ノ島を「国家的祭祀」の場としたという背景もあります。

宗像大社大社沖津宮/「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
画像素材:shutterstock

島の面積はたったの1平方kmという小さな島で、原生林に囲まれていますが、今でも遺構や遺物がそのまま残っているのが特徴。それらはヤマト王権によって500年に渡って祭祀が行われた跡でもあります。ここではその祭祀の変遷も見られ、初期は巨石の上で祭祀が行われた「岩上祭祀」、巨石の岩陰で祭祀を行う「岩陰祭祀」、岩陰と接する平場で行う「半岩陰・半露天祭祀」、最終的には平地で祭祀を行う「露天祭祀」に変化していったということがよく分かるもの。

やがてこの沖ノ島の自然信仰が、「宗像三女神」の人格を持つ神への信仰へと発展し、現在は宗像大社の一部として崇拝を続けられています。つまり、島は「露天祭祀」から社殿を持つ現在の祭祀へと発展していったという過程を示すもの。現在の宗像大社は、沖ノ島にある「宗像大社沖津宮」、宗像市のすぐ側に浮かぶ大島に位置する「宗像大社中津宮」と「沖津宮遥拝所」、本土にある「宗像大社辺津宮」で構成されています。そして、福津市にある「新原・奴山古墳群」を含めて、2017年に世界遺産に登録。

「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

宗像大社中津宮/「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
画像素材:shutterstock

沖ノ島と周辺の遺産が評価されたのは?以下の点。

登録基準(ii)
沖ノ島に残る遺物は、航海の安全を願って祭祀が行われたという形成期を示すもので、ここは4〜9世紀にかけて、朝鮮半島を経由して東アジアのさまざまな国々と文化や技術の交流し、それらは500年に渡って古代の祭祀の変遷を伝え、日本列島における日本独自の文化形成に貢献したという点。

登録基準(iii)
沖ノ島では奉納物が多く発見され、それらは4〜9世紀にかけて500年間に渡る祭祀の変化が見られるというもの。9世紀以降は祭祀は途絶えたものの、祭祀は宗像大社として「宗像三女神」を崇拝するという形で残り、これは古代から現在まで発展し、受け継がれてきた文化的伝統を今でも残しているという点。

の2つ。つまり、

「沖ノ島はヤマト王権による国家的祭祀が行われた場で、4〜9世紀に渡って東アジアのさまざまな文化が交差する地であり、これは古代から現代まで崇拝が文化的伝統として今でも受け継がれてきているという点」

ということですね。

沖津宮遥拝所/「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
画像素材:shutterstock

沖ノ島は以下の8つの資産で構成されています。

・宗像大社大社沖津宮(沖ノ島)
・小屋島(沖ノ島周辺)
・御門柱(沖ノ島周辺)
・天狗岩(沖ノ島周辺)
・宗像大社中津宮(大島)
・沖津宮遥拝所(大島)
・宗像大社辺津宮
・新原・奴山古墳群

それでは、ひとつひとつ解説していきましょう。

「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産をご紹介

1、沖ノ島(宗像大社沖津宮)・小屋島・御門柱・天狗岩/宗像市

沖ノ島(宗像大社沖津宮)/「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
画像素材:shutterstock

玄界灘に浮かぶ沖ノ島は、宗像大社三社の一つ・沖津宮があり、宗像神社の境内となっています。島の山腹にある沖津宮は宗像三女神の田心姫神(たごりひめのかみ)が祀られていて、現在も社殿が存在。しかし、社殿の最も古い記録は17世紀ころであり、ずっと「不言様(おいわずさま)」という信仰が守られていて、かつては一切口外されなかったこともあってか、詳しいことはわかっていません。そして、今でも女人禁制の伝統が続けられていて、現在でも特別な許可がないと原則、島に入ることは不可。

島の手間に位置する小屋島・御門柱・天狗岩という名付けられた岩礁は鳥居の役割になっていて、こちらも世界遺産として登録。

2、宗像大社中津宮(大島)/宗像市

宗像大社中津宮(大島)/「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
画像素材:shutterstock

本土から北西に約6.5kmの距離にある大島は、宗像大社三社の一つ・中津宮があり、宗像三女神の湍津姫神(たぎつひめのかみ)が祀られていて、ここも宗像神社の境内となっています。中津宮は港のすぐ側にあり、その裏側にそびえる御嶽山の山頂にある奥宮も含めて世界遺産に登録。

3、沖津宮遥拝所(大島)/宗像市

沖津宮遥拝所(大島)/「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
画像素材:shutterstock

大島の北部に位置する遥拝所。沖ノ島は、通常は一般人が上陸できないため、ここから島を拝めるように建設されたもので、現在の社殿は1933年に建造されました。沖ノ島から約48kmも離れた位置にありますが、晴れた日はここから拝めることも可能。

4、宗像大社辺津宮/宗像市

宗像大社辺津宮/「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
画像素材:shutterstock

本土にある田島という地域に建設されたもので、宗像大社三社の一つであり、宗像三女神の市杵島姫神(いちきしまのひめのかみ)が祀られています。こちらの辺津宮こそが、現在の宗像大社の神事の中心となっていて、ここには12世紀から既に社殿があったとされ、本殿と拝殿は16世紀に再建されたもの。

5、新原・奴山古墳群/福津市

新原・奴山古墳群/「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
画像素材:写真AC

辺津宮から南西へ約5km。福津市にある津屋崎古墳群の一部も世界遺産に登録されています。こちらは5世紀後半〜6世紀後半に建造された古墳群で、かつての豪族・宗像氏と関係があるというもの。前方後円墳が5基、方墳が1基、円墳が41基点在しています。

世界遺産マニアの結論と感想

「沖ノ島」と聞くと「上陸不可能」というイメージもあり、なかなか馴染みのない遺産であると思いますが、実はこの島は古墳時代に国家で運営していた壮大な祭祀施設であり、出土品には既にその時代に大陸との交易や交流が盛んにあったことを示すという点で評価されています。

ちなみに、神社関係者以外の人間の上陸は許可がなければできない沖ノ島ではありますが、現在においては、島には灯台と携帯電話アンテナがあるので作業員は上陸できるし、自然保存を確認するために調査員が入ったりと…割と上陸している人はいます。ちょっと雰囲気を壊してしまいますが、あくまでも「現代」なので。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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