登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (6) |
登録年 | 2000年 |
インド洋に浮かぶザンジバル島の西側にあるストーン・タウンは、古くからのスワヒリ文化が残る街。ここはアフリカ、アラブ、インド、ヨーロッパなどと交易で栄えた都市で、サンゴ礁の石灰岩で築かれた町並みが現在も残っています。
ここではザンジバル島のストーン・タウンがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ストーン・タウンについて詳しくなること間違いなし!
ザンジバル島のストーン・タウンとは?
タンザニアの首都、ダル・エス・サラームの北に浮かぶザンジバル島。島の西海岸に位置するストーン・タウンは、イスラム文化を基盤にアジア・ペルシャ系の文化とアフリカの土着の文化が入り混じった、スワヒリ文化が見られる都市で、ここは外来のさまざまな文化を反映した建築物が多く見られます。
この島は1499年にインド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマが訪れ、ポルトガルの影響を受けるも、17世紀にオマーンの領土となり、アラブの影響を受けた後、さらに19世紀にイギリスの保護領となり、1964年にタンザニア領となるという複雑な歴史を持つエリア。
ここはアフリカ大陸から奴隷や象牙、金などが運ばれ、東西交易の中継地として栄えました。ストーン・タウンの建造物は、サンゴ礁の石灰岩とマングローブの木材で造られた、まさに「ストーン・タウン」という名に相応しい石造の建築物が今でも見られます。そこにスワヒリ文化、インド、アラブ、ヨーロッパの影響を受けた、3階建ての家々が並ぶというのが特徴。
現在残る建築物はおもに18〜19世紀に建てられ、要塞、宮殿、大聖堂、モスクなど、アフリカとアジアとの長年の交易を反映した建造物が並ぶ独特の町並みが見られます。
ザンジバル島のストーン・タウンはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ストーン・タウンが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ストーン・タウンは、さまざまな文化の融合と調和が見られるという点。
登録基準(iii)
ストーン・タウンの建築物やレイアウトは、何世紀にも渡ってアジアとアフリカとの交易活動が盛んであったということを示すというもの。
登録基準(vi)
ザンジバル島は、東アフリカにおいて主要な奴隷市場があった場所。探検家であったデイヴィッド・リヴィングストンが奴隷解放運動の拠点にしていたこともあり、ここは奴隷解放におけるシンボル的存在であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ストーン・タウンは、アフリカからの交易品を輸出した、東西交易の中継地だけあり、アジア、アラブ、ヨーロッパなど、さまざまな文化が入り混じり、それが建物やレイアウトに反映されているという点で評価。そして、東アフリカでも主要な奴隷市場があったため、奴隷解放運動のシンボル的存在でもあったというのもポイント。
この島の出身者で最も有名人といえば、クイーンのフレディー・マーキュリー(ファルーク・バルサラ)。とはいえ、彼の両親はインド生まれのゾロアスター教徒。父親が当時のイギリスの植民地政府のオフィスで働いていた時に彼が生まれたのですが、アフリカであるのにインド人が働いていて、革命によって職を失ってイギリスへ渡るという、当時の複雑な政治事情が見られますね。どちらにせよ、彼はあまり自分の出自を語らなかったらしいので、なんとも言えませんが。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。