登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2018年 |
インド南西部にあり、インド最大の貿易港であるムンバイ。ここはイギリスの植民地時代に交易で繁栄し、19世紀後半になるとオーバル・メイデンには公共施設が多く建造されるようになります。これらは19世紀後半にはヴィクトリア朝のネオゴシック様式、20世紀になるとアールデコ様式として建造されたもの。今でも残る映画館や住宅には、インドの建築様式を融合した「インド・デコ」と呼ばれる独自のスタイルが見られるのが特徴です。
ここではムンバイのヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの遺産群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、これらの建造物について詳しくなること間違いなし!
ムンバイのヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの遺産群とは?
ムンバイは、インドでも第2の都市であり、世界でも有数の貿易港。17世紀からイギリスの拠点であり、19世紀後半になるとインドでも最も重要な港湾都市へと発展しました。そういう背景もあり、市街地を拡張する都市計画が行われ、19世紀後半にオーバル・メイダンと呼ばれる楕円形の広場の東側には、ヴィクトリア朝のネオゴシック様式(ゴシック・リバイバル、18世紀末から19世紀に流行した中世ゴシックの復興を目指す建築様式)の建造物が並ぶようになり、これらは裁判所やムンバイ大学などで見られます。特にラジャバイ時計塔は、ムンバイのシンボル的存在。
20世紀初頭になると、今度は広場の西側にアールデコ様式(1910〜30年代にかけて、フランスを中心に幾何学的なデザインや新素材を使用するという独自の様式)の建造物が並ぶようになりました。これらは住宅や商業施設、娯楽施設などで見られ、インドの建築様式と合わさり、「インド・デコ」と呼ばれるもの。これらは1947年にインドが独立するまでに、オーバル・メイダン周辺の建造物の近代化を示すという点で世界遺産に登録されています。
ムンバイのヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの遺産群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
これらの建造物が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの遺産群は、長期に渡るヨーロッパとインド間の価値観の交換を示し、ネオ・ゴシック様式は、バルコニーとベランダを導入したインド独自の様式。映画館や集合住宅のアール・デコ様式は、インドの建築様式を加えた「インド・デコ」といった独特のスタイルとなり、インド亜大陸全体に影響を与えたという点。
登録基準(iv)
ヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの遺産群は、2世紀にもわたる建築と都市計画の発展を示し、オーバル・メイダンを挟んで建築物と都市計画という2つ段階の都市拡張を示し、20世紀から現在に至るまで国際的な商業都市の発展が見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ムンバイは19世紀末に世界的な貿易港に成長するに渡って、都市拡張が行われ、ネオゴシック様式とアール・デコという優雅な建造物の建設ラッシュが発生し、それらにインド独自の建築様式が加えられました。これらは20世紀から現在までのムンバイの発展を示すという点で評価されています。
ちなみに、ムンバイというと2004年には既にゴシック・リバイバル様式のチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅が世界遺産に登録されましたが、これだけはなぜか「ムンバイのヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの遺産群」に含まれず、単独で存在しています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。